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とんでもないことをした話

俺は25歳から28歳の間に記憶喪失みたいな部分がある。


何でそうなったかって25歳くらいで会社の上司の勧誘で聖教新聞を取って、その集金のおばちゃんにマンションのドアを開けてしまったんですよ。連日の強引な勧誘に折れて入会して、そうすると会社での業績も評価されて(上司が学会だからね)なんか上手い調子にいってたんですよ。けど色々あって、それは結局創価学会の輪の中だけでの成功で、自分は何も成長してないなと思ってた。そんで創価嫁をひっつけられそうになったとき、絶対にこのままではマズい!と思って部屋の創価仏壇から創価本尊を取り出してビリビリ破いて捨てたんですよ。


それから土砂降りの中を傘もささずに創価学会の会館に向かって池田大作そっくりの守衛のおじさんと話をした事や、件の上司が俺のマンションまで来て俺は仏壇を捨てた事を打ち明けて一緒にゴミ捨て場を探しに行って、捨てたはずの仏壇が見つからず、仕事はクビになってカネがなくなってスーパーの廃棄弁当を食って家賃の引き落としで貯金も無くなって貯金箱のカネで電車で実家に帰って親父と精神病院に行くんですけど、この仏壇を捨ててから家に帰って次の仕事を見つけるまでの間の記憶が本当にハッキリ思い出せない。


結局クスリを飲みながら再び別の会社に就職して会社員として働き出すんですけど、絶対に創価学会の暴露本みたいなのを出してやろうと考えていた。


最近、それが無くなってなんか軽くなったんですよね。「仏壇捨てたら死ぬぞ」みたいな脅しと「そんなのカルトだ!捨てて生きてやる!」という反骨と「死なないなら殺そうか」みたいな組織の体質を京極夏彦の読み過ぎの懐疑心で持って読み解こうとしてたんですけど、昨年末に神社の放火があったらしくて、まあ神道もウソだと分かってるけど神社燃やしちゃいかんだろ、と思うのは創価の人が仏壇捨てちゃイカンっての、やっぱ俺もイカン事したんだなと反省したんですよ。


実は一緒にゴミを探した上司とはまだ時々電話するくらいには付き合いがあってですね「また一緒に働かないか」と持ちかけられたんですけど、親父と相談すると以前は頑に「もう創価学会とは関わるな」の一点張りだったのが会社名を出すと「そこなら安心だな」という風に丸くなってですね、親父が丸くなったのに安心すると、親への反抗で飛び出して独り暮らししてたものですから(といっても飛び出したのは10年前で帰って来てるんですけど)以前の上司とも昔の付き合いと言う自然な距離感で接する事が出来る。その上司に付いても職場は出世しないオッサンばっかりで、その人が定年するのも見えてるから未来無いなって考えるようになった。結局宗教がどうのといったって、会社というのは偉くなっても部下が働いてくれないと回らないの目に見えてるんですよ。だから断ってる。


創価学会って何か今でも分からない部分があるし、好奇心で知ろうとする人もいるみたいですけど、今の俺は適度な距離感で接するべきだと思うし、害を感じないレベルなら知ろうとするより放っておいたほうが無難(だと言いながらブログに書いてるけど)結局何だったのか自分でも覚えてないし、無理に思い出そうともしなくなっていってるんですよ。そんな話。