ドドソソララソファファミミレレド

 ギターなかなか上達しないのを子供ギター教室の先生が不思議がって「うーん、やっぱ指動かさないで考え事とかしちゃうのがまずいのかなぁ」って話になりそうだったんですけど、そのギター教室では子供向けに「きらきら星」から始めるそうで。まず6弦8フレットのCからCメジャースケールつまりドレミファソラシドレミファソラシドまで2オクターブほど運指を覚えたのが先週のこと。ピアノできらきら星を弾いてみて、ドドソソララソファファミミレレドと歌いながら10回くらいピアノで弾いて、ギターを持つと指はちゃんと動くようになっていて、弾けました。

 何というか、ケチなので楽譜を1曲ずつ買わずに乗っている雑誌とか楽譜本みたいのは買ったんですけど、まあそういうのは1冊持っておけばいいよねみたいになって、それでバッキングやってあとはギターソロだってなった時に、まだまだ楽譜を見て1曲をドレミで弾く練習が足りないから、したがってアドリブフレーズなども出るはずがなく、プロフェッショナルなロック曲のサビの後の間奏だけ真似て完成ってわけにもいかず、ずっと詰まっていたんですよね。

 まあ、ギターソロってギタリストの地味な仕事の中での唯一の華みたいなもんだから、そこがうまくてかっこいいと憧れるのも自然だけど、そこからやろうとしても出来るようには成らないものなのかも知れませんよね。

 楽しく何かの曲を弾いて、指でドレミを覚えこんで、それから既に結構できているバッキングももっと練習して出来るのは先だろうと思って日延べしがちなのを、かといってすぐやろうと焦るでもなく、順を追ってステップバイステップで目指してゆく。

 なんか、若い頃は何でも無理やりやろうとして、それをもっとじっくりとか丁寧にとかコツコツとか抑える感じで言ってくる人に腹を立ててたんですけど、病気して薬飲みだしてから頭がぼーっとして、なにもやる気が無くなって、それからコツコツの力を信じてみようかと思って、ちょっとしたことを毎日やるようになったんです。

 まあ、過ぎてみるとコツコツ続けるために無理矢理に自分の背中を押して、同じことでも飽きててもとりあえずやるうちに「これさえやってりゃいつか出来るだろう」みたいな楽観視で成長がピタッと止まって思えたことがあったんですよね。

 そんな時にいちばん効いたアドバイスが「もう全部やめちまえ!」で、先々週あたりにはぼーっとしていて、それでもPS2の鉄拳5だけはちょっと続けてましたけど、それで先週あたりから突然に色々と捗り出して。

 それから、大阪でひとり暮らしをしていた20代の中盤2003年ごろかな。近所に創価学会の会館があって、自宅では言われなかったけど独り暮らしをするにあたり「聖教新聞を取らないか」と言われて新聞配達のおばちゃんに「きゃっ!こんなとこに独りで住んでんの?仕事何してんの?」「コンピュータ関係です」「うわあ、花形やん!大学どこ出てんの?」「コンピュータの専門学校です」「うわあ、専門学校しか出てへんのにそんないい仕事できんの?なんでよ?あんた学会入らへん?うちでカレーご馳走したるから」となって、独り暮らして食費の節約になるかなと新聞配達のおばさんの家に行くと、旦那さんと双子の小学生くらいの娘さんがいて、そこでお仏壇のある部屋に人がひしめき合って夜中まで論戦。疲れて入信届を書いて印鑑を押しました。

 そんでも、振り返ると迷惑だったことも多かったけど創価と言うと法華経で、法華経以前に「南妙法蓮華経を毎日唱えると願いが何でも叶う」というオカルト思想もあったんですけど「何でも叶うわけがない」と入信以前の段階で突っぱねる人が多い中で、科学と言うと「論理、客観、実証の三要素を備えていること」なんだけどそこから「夢とは何で、どうすればそれが叶うか」というまず入信者は叶わない夢をもっていることが前提で、科学的とまでは言わないもののお経の勉強会から出発して実証的に夢をかなえた実績を作って来たという内部史を読まされて、退屈だったのでいっちょやったるかって、そこそこ勉強できる私学の高校とコンピュータの専門学校出てるって、たぶん新聞配達のおばちゃんよりは勉強めちゃできるけど「大学も出てへんの?」という煽り文句をモロに受けてしまって、そんで叶えたい夢ってほとんどの人がお金持ちか芸能人なんですよね。

 それくらいなら、勉強して資格取ってサラリーマンでマンション住むくらいのカネとか、ビデオカメラ買って歌って踊って撮影するくらいなら頑張ればみんな出来るんじゃない?みたいに甘く考えて、勉強会に参加して、どちらかというと教えるがわに回ったんですよ。

 でも、今から考えると創価に入る人を舐めてて、最近の本で「刑務所に入っている人はケーキを三等分することが出来ない」みたいな本とかありましたけど、まさに数字も漢字も分からなくて、ただ口で言っていることを声真似ただけで何にも分かってないけど、確かに歌手くらいだったらそれでも成立するかもだけど、やっぱりあの人たちは何も分かっていなかったし、どこから分かっていないか分かるとどちらかと言うと勉強会以前に漢和辞典とかノートへの文字の書き取りとか、そろばんとか筆算とか、在学中になんのためにやらされてんだろうと思った勉強の数々は、着実に俺の基礎になってて。

 それをあらためて発見したから、その続きの勉強をしようと思うようになったんです。毎日南妙法蓮華経を読むだけでと言いながら、俺は入信中に法華経を全部読んで教学助士の内部資格を取ったんですよね。この時点で南教法蓮華経「だけ」ってウソじゃんって思うべきなのか、騙されてやるべきなのか。

 それよかしなきゃならん勉強があるだろうって思うし、法華経だけでは科学の基礎みたいな原子論みたいなものがお釈迦さんのお経にもあるとかいって、それ法華経ちゃうしって突っ込めないし、そうすると折伏といって他の宗派を叩くのも嘘っぱちなわけで。

 まあ、それでも20年とか経ってみると創価も色々変わったらしく「ごめんね」って話も聞くから、これからどういう風に付き合っていこうってまた安易に許すと裏切られるかもって、舐めちゃいかんとも思ったりもするのですが。

 それでも、今日はギターの話もしたけど基礎からコツコツみたいなのも騙しかもだけどするとしないでは違っていて、ちゃんちゃらおかしい南妙法蓮華経でも毎日読む人には何か気づきがあって人生が好転することもあるのかもしれないとは思うのよ。

 けど繰り返しになるけど、法華経読むだけではダメだと思うし、それに気づく事が「発心」といって仏教でいちばん大事な悟りみたいなもんだって考え方もある。

 俺にも学校行くよりバンドみたいなことしたいって願いがあって、大学出のバンドみたいなのもいるけど、中卒とか高校中退とかでお化粧して変な歌うたってるバンドにシンパシーを感じていたこともあって、そのへんの弱みは創価の人に握られた部分あんじゃないかとは思うよね。

 今ではまた違って見えるけど、あの頃はあの頃で毎日色々あったよな思い出すの。


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