俺、友達みんなと会社するつもりだったんだ

41歳、無職。

18歳で大学に落ち、2年フリーターをしてから専門学校へ入学。

国家試験に通り地元の小さな会社に正社員として入社。

会社の実態は雇った人を大企業の下請けに偽装請負で実質派遣の「出向」をうながすペーパーカンパニーであった。

親に「就職した」と言った手前、後には引けず言われるままに色々な会社に赴きストレスや不安から精神病で倒れるまで働く。

だが、そこまで無理を出来たのは夢があったから。

どんどん実務を身に着けて、いつか自分が社長になる。自分の周りには出来る人が集まっていると確信していた。なぜなら、俺が何を自慢しても周りに集まる人はみんなその上をいう。

例えば、今日はリアルバウト餓狼伝説というゲームでエースファイターという称号を取った。つまらない話に思われるかもだが、まあゲーム歴は長く、120万点というとネットでPS4のスコアで全国の20位以内くらいのスコアだと思われる。それをちょっとゲーセンで遊んだことがある、からブランクを経て1週間で記録できた。

それで、俺はエースの上にマスターという称号があることを知り、うっかり口を滑らした。

だいたい、その話を聞いたらみんな「俺やったら全キャラマスターまでやるな」などとマウントしてくる。ゲームの話をして、そこそこの自慢をするとみなもっと上を自慢してくる。俺はてっきり、自分の周りには全国1位級のやつがゴロゴロいるすごい集団を作ったんだと勘違いして、このまま頑張って会社でも起こせば凄いゲーム会社になるだろうと思っていた。

もちろん、そう思ったのは単にゲームの腕という子供じみた自慢だけでなく、国家試験二種を取ったというと大学で一次試験が免除になって一種を取ったとか、C言語を覚えたと言ったらJavaでなにか作っているとか、とにかく俺が自慢話で1番になることは無かった。いつもマウントされていた。

だから、いつももっと頑張ろうと思っていた。

それらが全てウソだったと気付くのに20年くらいかかった俺は多分知恵遅れなんだと思う。知的障害者ではないが、精神障害者になってしまって、お薬を飲んで、よくよく考えたら分かることなのだ。

だいたい、富士通のソフト部門で働いて工場ではなく新大阪のビルに勤務というと東京には負けるかもだが関西では1番だ。そこで仕事を全部片付けると幽霊会社であるNECの京橋支社を見学してから外国資本でコンパックを買収したヒューレット・パッカードの元コンパック部門に上がる形となり「経験者が欲しいって言ってんのに何でこんな若い子が来るの?」「いや、よく出来るんですよ試しに使ってみてください。他って言われてもいないんです」となって、大阪までの通勤が遠いから大阪に買ったマンションからさらに兵庫県まで片道2時間かけてフレックスというか完全自由出勤でソフトウェアの研究をさせてもらっていた。

この時に憧れのSNKが倒産して分社したブリーゾインタラクティブに人脈ができていて転職を考えていたが忙しくてそちらに仕事を回せずにネットで知り合ったスーパープログラマーやねうらおにメールを送ってブリーゾの仕事を肩代わりしてもらった。

忙しくなってゲームは片手間だったし、大学は出ていないし、中学くらいの時にゲームの腕はだいたいみんな似たようなものだから、みんな自分と同じくらいでもおかしくはないと考えていた。

やねうらおのようにネットで集まった人の中には本当に日本有数なんじゃないかと思う人も確かに混ざってはいるのだけど、昔からの連れ合いはだんだんと疎遠になり、相変わらずゲーセンにたむろったりパチスロを打っていたりバイトをしていたようだ。

スターファイターでもなければ風来のシレンもクリアできないしJavaどころかC言語もわからないし国家試験にも通っていないフリーターの友人が首を吊って死んだ。

その時にはマスターでシレンが解けてJavaが書けて国家公務員の才能ある友人がどうして自殺したのか分からず思い悩んだ。まあ、死人に口なしだから今でも本当か嘘かはわからない部分があるが、線香を上げに行った部屋は片付いていて遺品にそれらしきものはひとつもなかった。

いっぽう俺の家はというとゴミ屋敷寸前である。大阪にマンションを買った時にゲーム機などを持ち込まずパソコンと本棚とソファだけのスッキリした部屋にしたのだが、そこに招き入れた友人のひとりが「何もないやん!ドラクエレベル99やったんちゃうの?嘘やったん?」と言ったので「実家にあるで」「えー?」信じていないのかなとその時は思って悔しかった覚えがある。

ゲーム大会に優勝するとか、偽装請負のままで突っ走りながら一部上場企業や外国資本の会社の研究所で席をもらって働いていることとか、自慢になるのかどうか分からなかったし友達はもっと上で頑張ってくれていていつか助け舟を出してくれると思ってたし、俺は俺でくだらない自慢が嘘だと思われないように証拠をとっておく必要があると考え始めていた。

まあ、その結果は最初に書いたように41歳で無職、さらに独身である。

精神病になった時に保険に入っていたので、それで偽装請負でありながらも雇用形態が正社員待遇であったことを証明できた。今は働かなくてもというか働けないので2ヶ月にいちど銀行に振り込まれる保険が収入源だ。親も元気で自営業として様々の副収入があり、それに親の年金もあるので父と子ふたりでそこそこぬくぬくと暮らしている。

大企業の研究所からは追い出される格好となり、確たる証拠は地元の会社の正社員であったことと研究所から会社宛にファックスで送った勤務表くらいしか残っていない。

あれは何だったんだろうと振り返ると夢や幻の如くだ。給料の多くはやさぐれて飲む打つ買うにつかってしまったので、ゲーム機や型が古くなったテレビやパソコンだけが手元に残った給料の使いみちだった証拠品になる。

なぜ、あんなふうにやさぐれて荒れていたのか、今からは到底思い返せないが、おそらく友達のマウンティングを真に受けて自分はどんなに頑張ってもいちばんを取れていないというような劣等感のような感情がそうさせていたのだと思う。

ネットで情報の流通性が良くなり、俺は何かの日本一ではないかもだが、日本にその分野にいる人がどのくらいいて順番で何番目かというようなことは見えてくる。

道のりは無茶苦茶だったようで、案外と自分の決めたことに向かっての最短距離に近い走り方をしていたのかもしれないなと思う。

社会の手続きは回りくどくて、本当に何かのことを起こす核心の部分に携わる人とそれが生む利益の権利者がちょっと食い違っていて、思い描いた巨万の富には辿り着いていないけど、ゲームプログラムのメインプログラマーくらいなら自分が走った道のりの先にあったかもしれない。

病気は辛いことだが、俺に病人の自覚は乏しく、暇がいっぱいあるので自宅のパソコンでちょっとしたゲームを作り、このままモジュールを少しずつ書き足せば大企業の売れ筋ゲームに匹敵するようなゲームエンジンを自分で組めないかと少し夢を見る。

そうしていると、ちょうどテレビで手塚治虫の番組が流れていた。アニメ会社の就職に漏れて漫画家でお金を稼いで自分でアニメ会社を作って一生働いた。ガンダムで有名な富野由悠季ももともと手塚治虫のアシスタントだったとか。

その番組を見ただけで、そういう一生を送ったかのような不思議な感覚になり、やる気は削がれていく。

俺、友達みんなと会社するつもりだったんだ。