アーティストって最後はオカマみたいになるのどうして?

新しいガンダムの主題歌がLUNASEA(ルナシー)になるそうです。

団塊の世代が若かった頃の流行語でナルシシストのことをナルシーと呼んだそうで、そういう世代から見てルナシー、グレイ、ラルクアンシエルの流行は俺の世代がゴールデンボンバーを笑っているのと何ひとつ変わらない時代の螺旋を感じるのです。若い人に鬼龍院リスペクトの人いたら失礼やから笑うのはやめとけ、みたいな。

芸術というのは絵画に音楽に彫刻に建築と多岐にわたるわけですが、人間って人間でないと理解とか共感出来ないというか、絵は分からなくても画家なら分かるというか画家の人生に興味があって、芸術作品そのものを受け手として味わう以上に誰が何のためにという意図を汲み取って芸術家も自分の理解できる範囲の人間なんだと安心したいとか、そこに自分を投影して自己陶酔したいみたいな感情がどうしてもあるみたいで。

ナルシシズムというのは怖いもので、自分大好きな人は鏡も大好きなんですが、誰かが自分を真似るとその人も大好きになっちゃうというか。

俺、ブログやってんじゃん。そんなのネットに繋げば誰でも公開できるわけで物書きとは認めないって一生懸命にディスって来る人の文体とかモノの言いようを少し真似てその人みたいに書いてあげると「スゲー文章上手いと思った」ってなって、そして挙句の果てに「あいつは俺のことパクった」って言って満足して終わっていくんですよね。

俺もずいぶんと自己陶酔型の人間てか、そうでないと表現なんてしようとも思わないわけですけど、画家なんてかわいいもので、建築でビル立てるとかひとりでできるわけなくて、そこに施主とか建築家の名前が乗っかることで、到底人ひとりの鉱石とは呼べないようなものがその人の属性になるじゃないですか。これってつまりエジプトの王ファラオの墓がどんだけデカイか、それがつまりどの王様がいちばん偉かったかみたいな競争と同じなんですよね。

これは建築ほど大きくなくても音楽でも同じことが言えて、だいたいテレビ見てる普通の人からしたら歌手が主役なわけですけど、そればっかだと面白くない人もいて、ギター・マガジンを見たらこの曲のギターは誰それさんが弾いたからすごい音楽なんだという美辞麗句が並べられているし、キーボード・マガジンを見たらやっぱりキーボードがすごいんですよ。

そうやって分け合えればまあ良いというか、関わっている人は多かれ少なかれ分け合っているわけですけど、独り占めの主役が両性具有に近づくのは、それがひとりで完成しているということを分かりやすくするためじゃないんですかね。

いや最後までオカマにもオナベにもならないアーティストだっているだろって言われたらそれまでなんですけどねー。