京アニの放火テロを見ていると

そりゃいつかそういう日は来るだろう、俺が犯人になる前に冷静になれたなと。

詳しい事情と動機を知り尽くしているわけではないのですが、日本の「クリエィティブ」とか「コンテンツ産業」の生む経済効果は莫大ですよね。

それはあくまで経済効果であって丸々利権になっているかどうかを最近のテーマとして考えているんですけど、形にならないアイデアの状態から形にすることが仕事と言われますよね。だけど、儲かってるのは形にしている人でなく形にする鋳型のように人をこき使う仕組みである会社ってやつであって。

会社ってのは法人つまり法律上の架空の人物なわけで、会社が儲かっているというのはまだ誰も儲かって無くて、社長や株主に会社からお金を出す権利が与えられてんだけど、そうでなくてアイデアを誰かから取って、京アニの件でもアイデアで儲かってるわけではなく作画の丁寧さなんかが好評を博しているわけですけど、それらの権利者はアイデアで利益を得ていると考える人もいるわけで、アイデアは本当に借りたものか同じアイデアを別件で出した人間がいるのか、突き止められない組織に対してひとりの人間が威力で対抗しようとした虚しさみたいなものを感じるんですよ。

日本のコンテンツ産業の「パクり方」があまりに巧妙だから、一個人でそれに対抗する証拠を打ち立てるのって難しいと思うんですよね。工業製品でも日本はドイツとかアメリカからアイデアを頂いてだけど特許で主張される同等品の要件を回避して新しいものを生み出して売ってきたわけで。これらは見た目と機能はそっくりでも内部構造がぜんぜん違うから模造品ではないって話だったんですよね。

じゃあアニメはどうなのか、となると原作から人の名前などの固有名詞を書き換えてあらすじを真似て全然違う絵で台詞の言い回しなんかも変えられちゃったら。原作だと主張する作品を出して盗作であると主張しても「似てるけど違うよね」とか「被害妄想だ」って話になる。しかも売れているのは脚本家ではなくアニメーターであると寸評されてしまうわけですよ。

大手の制作会社が盗作というか盗案をしていることを裁判で争うのは難しい。盗作の要件を知り尽くした奴らが方にかからない範囲を知った上でやっているんだから。実際に作品が著作権を得る頃には原案が盗案であっても外見が全然違う形ですから。

これは俺が自分で良くないと思っていることをやられて、やり返せなくて、やり返しに下手をすると相手が先にやったのに自分が法を犯してしまう結果になるというようなやり合いで少しずつ歳を重ねて学んできたことなんですよね。

いい加減、腹立たしくて威力行使もしたくなるほどだけど、そういう時は机をグーで殴って別の方法を考える。幸い俺はまだテロには会っていない。

俺がコンチクショウと思っているのは京アニではなく別の制作会社なんだけど、京アニに放火した犯人がマスコミにどう報道されるのか、その様を見守りながらその方法では思った結果を導けないのだなということを改めて冷静に見ています。