今日のギルティギア(自分でも意外なほど楽しめている)

ジョニーでクリアしてから、天啓で「もっとやり」と聞こえてきた。竹山社長の声だ。

竹山社長は俺がバイトを辞めてから派遣社員になった時の派遣会社の社長で、大阪での仕事をたくさん見つけてくれるのだが、俺が家から近い所が良いというと郡山のシャープの仕事を取ってきてくれたし、ゲーム会社に転職したいというとゲーム会社の下請けにさらに派遣で入るという底辺もいいところではあるが仕事を取ってきてくれる人なのである。給料交渉も利益が出る範囲なのだろうが、上げてと言うと上げてくれた(元々は安かったが)

それで騙されたと思ってまたジョニーで遊ぶ。ゲーム会社で仕事をしている人はプログラマーやグラフィックデザイナーだけでなくバイトでゲームしてチェックをする人や、古いゲームを遊んでどこが面白いのか研究して指示を出す人もいる。

俺がゲーム開発の仕事に付きたいと思ったのはプログラマとしてはお金のためという事情もある。けど、もっと大事なところで行くと、開発者の狙いより上手くなってしまったという思い上がりみたいなところもあるんだと思う。そういう意味で操作がむずかしく敵のロジックが強く改造されたGGXXAC+は廃ゲーマーだった頃の俺に渡せば狂喜乱舞で猿のようにやりこんでもおかしくないゲームであり、それを放棄するというのは若い頃の自分に嘘を付くことになる。

プログラムを有利にして勝ちたかったわけではないはずだ。勝ち負けより、楽しいことがあるというか、負けて「もっと強く」というのが楽しかった。もっと強いってどんなだろうと思うと、それはゲーム理論の戦略ではなくゲーム画面を見て出来た自分の中の世界で動く新しいアニメである。その夢を追い続ける。アニメとコントローラがシンクロする。

ゲーセンだと、閉店で終わるまで勝っても負けてもやり続けていた。

近頃の俺は勝つために操作の熟練や反射神経でなくゲームのルールに着目してポイントが取れる方法とそれにまつわる駆け引きに着目して。コンピュータ戦はダメージが通るロジックのテストみたいなものだと思ってつまらなく感じているが、楽しさってそういうことだけじゃないんだよな。

ゲーム開発会社に派遣で行った時に「格闘ゲームの面白さって結局コンボじゃないんですかね?」と言われて、俺は正論で先手を取られるとどこか負けた感じがして「いや、」と言ってから思いつく限りのその他の要素を上げたんだけど、だからコンボじゃない面白さを検証しているだけで、コンボゲーでコンボ練習する猿になるだけでも楽しめる自分はいて。

まあ、コンボ以外で言うと「意外性」てのはスポーツ全般に言えるかもな。勝つためだけに考えて、勝てば必要十分というのでなく、必定になった勝ちに予想外の負けがあるとそれに対してまた自分をあらためて挑もうと考える。「麻雀って負けるから面白いのよね」って何かの漫画で誰かが言ってた。正しいと思う。

そこを確率とかで何回に1回負けるのは仕方ない、みたいに受け入れちゃうとつまらない。負けにはそれ以外にも理由があり、それをつぶしてもっと強くなるみたいな向上心がへし折れない限りずっと続けられて楽しいんだと思う。


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