最近親父と話してもつまらなく森博嗣の奥さんが賢い人なのではと思った話

20代くらいで森博嗣のS&MシリーズとVシリーズを全巻読んだ。

30代で春夏秋冬の秋まで読んだところで飲み会で忙しくて読めない冬のネタバレをされて、帰り道で謝ってもらったが、まあ冬も楽しく読めてファンにありがちな作者の後続雑誌などを追って読む格好を取っていた。鉄道模型でも実寸より少し小さめで人が乗れるタイプが好きであることや子供向けの科学雑誌を取り続けていること、テレビは見ない新聞は読まないで奥様から話を聞いて時事を把握していることなど知っていた。

そんな便利な奥さんがいたらなぁ、と思うことはあっても探してもなかなか見つからず。

結局、俺はそれを端折って時事と無縁のプログラマー生活を送っていたが、ソフトウェアの流行は知っていても千円札が夏目漱石から野口英世になったことを知らずコンビニで釣り銭で受け取って偽札ではないかと警察に持ち込んでから、友人に病院に連れて行かれて精神病だと診断されて休んで会社が立ち行かなくなり浮浪者同然になってから実家に帰ってきた。

話し相手というのは考えが独りよがりにならないために大切な存在である。もしかしたら森博嗣もたびたび奥さんに話をして、その受け方が上手でストレスが解消されて分からないと相手に言われるところをあらためて分かるように話せる訓練を積み、そして小説を書くに至ったとかくと長ったらしいがヒトコトで内助の功ではないかと。

女というのは男の話がわからないと言うが、最近では女も働いて家を買って車に乗る時代である。男の話を男が本当に分かっているかと言うと、出世する男というのは上澄みを吸って生きている。エンジニアでなくても車の運転はできるしプログラマでなくともスマホタブレットも使いこなせる。そのうえでお客様として便利な機器を買い取扱に長けて専門用語で話しているだけで、いまではインドや中国に移り始めている低レイヤの下地の仕事が丁寧にできるかというと、それは出来る出来ないに二分されるだろう。

つまり厳しい奥さんに突っ込まれて自分の話している言葉も丁寧に説明できないままペラペラ喋っている男というのは信用に足るものではなく、話のわからない女が聴いても分かる話ができるようになって初めて男はものが分かるのである。

俺の親父はかつては車に詳しいエンジニアで奥様は俺の母親だったわけだが、退屈な話に相槌を打って丁寧に聞き出してくれていたおかげで子供の俺でも食卓の話題をなんとなく把握できていたのだ。子供が逐一訪ねると最初は答えたが退屈で面倒がるので、やがて俺と姉は飛び交う会話の中から単語の意味を推察する力が身についたのかもだが、本を読んで辞書を引く力は弱く、大体の意味で頭ができていた。

俺はいつしかそれに気づき、そんなこと大体分かるだろうと思うような簡単な言葉の意味をくまなく辞書で調べてものが書けるようになった。そうして、姉に子供ができた時に姉と義兄は子供の言葉に「なんで返し」として子供に「なんで?」と問われるとペラペラ喋るのをやめて最後は俺に聞く。そうして子供が俺の言葉に耳を傾けるようになると、やがてそれに嫉妬してウソを吹き込み俺と子供を遠ざけるように立ち回った。

最近は親父とふたりで暮らしているが、親父はiPhoneの新型に夢中でYouTuberがどうとか色々と画面に出てくる単語を紡いでてんでちぐはぐな説明を俺にしてくれるのだが、突っ込むと不機嫌でふんふんと聞いていると上機嫌でどんどん作り話が大きくなる。

今まで、親父が出来る人で母親は最低限の家事と受け側だけの中身のない人だと思っていたが、プロ野球でキャッチャーが注目されないのと同じような理屈だろう。

母親は子供を捨てて男を作って出ていったが、まあお疲れ様であったのだなと思う。