謙虚という言葉の意味を少し間違えていたのかもな

謙虚というのは「ひかえめで、つつましい」ということらしい。

俺は好戦的な若い時期に、負けを認め、相手から学ぶ姿勢をもち、向上心を保つ。そういうことを心がけてきた。そしてそうあることを謙虚と呼ぶのだと思ってきた。

だから、そうして一旦は負けを認め、練習にストレスをため、勝った時には尊大に振る舞った。そこがゴールだと思ったからだ。謙虚であるというのは青虫が蝶になる前のサナギの期間において重要で、すべてのものに勝てばその時には謙虚でなくなって良いと考えていた。

しかし、どうやらそういうことではないらしい。

謙虚であれという教えの真意はまだ分からない部分があるが、昔から言われていることというのは時代が変われば通じなくなるとどこかナメている部分があった。昔からそうするから、偉い人が言うから、皆がそうするから、それが「なぜ」の答えになるものは全てつまらないと跳ね除けた。

コンピュータ将棋がプロ棋士を負かした、将棋界の伝統を計算機という新しいものがぶっ壊しただろうか。否、そのコンピュータから棋譜を学んで一躍時代の人となった藤井聡太はテレビに映った時の立ち振舞のつつましさで人気が出たのではないだろうか。

人の評価というのは功績に於いて讃えられる部分もあるが、マスメディアで取り上げられるものは多くの視聴者つまり庶民からの人気を取れて初めて放送された価値があるのだろう。

勝ってなお慎ましい、それが市民の理想である。圧政に苦しめられた経験のある市民は強者を嫌うのだ。妻の家事を手伝う夫が理想的であるのとどこか似ている。

結局勝っても威張れないのなら、何のための勝負だろうと思うと、そこはお金をしっかりもらえたらその部分は隠して慎ましく振る舞うのだから、つまりは商売ということになる。

お商売をして富を得て、自慢はせずに美味しいものを食べる。それがひとつの幸福なのだろう。

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