MTGのことを考える時間は賭けに身を滅ぼすのとどれほど違うか

マジックザギャザリングの大会で賞金が欲しいなんてのはパチンコで飯食いたいみたいな発想であって、パチンコに朝から並んで勝った人を見つけて仲良くなったからと言ってパチンコに強くなるわけではない。というのは運営や審判をしていた古い友達の言葉だ。この言葉で俺はどこか裏切られた感じがして、根に持って最近では友人関係も破綻している。

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まあパチンコは例え話なのでパチンコやスロットにも何も知らないで打つよりは知っておいたほうが良いことや攻略法と言われる当たり目の見分け方があるのだが、それを覚えて例え勝っても新台入荷の入れ替えでまた攻略法は振り出しに戻されて古い勝ち方を信じていると飲まれてしまう。

そういう意味では流行りものや街での暮らしは情報の刷新が不可欠なのだが、一方で勉強というのは昔から受け継がれている間違いのないことを学んで行くことになる。情報が古いとすぐには役立たないかも知れない。新しいことを知って飛びついた人の中にも成功する人はいるし、古くからの色々なことを学んだつもりでもいまひとつ時代に沿わないこともある。

その意味で、今日のデッキは古典ディープマジックにおける「小型クリーチャ高速召喚デッキ」と「焼殺デッキ」という勝ちプランを柱に蘇生を組み込んで押切のエンジンにしてみた。

不思議なことにディープマジックには凡庸な中型クリーチャーを普通に呼ぶ戦略が全く示されていない。小型クリーチャー高速召喚は1マナ2マナが主軸だし、大型クリーチャー高速召喚は今はなき「暗黒の儀式」や「マナの棺」で一気に5マナの「センギアの吸血鬼」や6マナの「マハモティジン」を召喚する。脇道に逸れると俺が最初の頃に強いと思って作ったデッキはこの大型クリーチャー高速召喚デッキととても似ていて、誰しもが思いつくひとつの勝ち筋なのだ。

それでも、そうして誰でも思いつきそうだと思いながらも勝てたのは、4マナ3/3のウォーマンモスくらいのお手頃なクリーチャーを呼ぶデッキのほうがもっと広くの人が思いつくからだろう。

ディープマジックの後にスライのマナカーブがあり、今では焼殺デッキと小型クリーチャーデッキの折衝点が見つかっている。だが近年はそれ以上にカードの固有の能力がトリッキーなギミックになっていて、それを捉えて組み合わせの妙を楽しめるようにカードは進化している。

多くの人はその仕掛けを楽しんでいるのだ。パチンコの話に戻すと、パチンコでも最近は液晶パネルにアニメや映画が流れたり、機械仕掛けで台の一部が変形したり、飽きさせないように作られている。そしてお金持ちになりたいなら賭け事は避けるべきだというのは古くからの常識ではあるけれど、社会は変容して、お金持ちが大変に多いこの日本の国で、嗜みとしての賭け事を身を滅ぼさない程度に楽しむ人だって結構な数に存在するものだ。

ただ、生活費を賭け事で稼ごうとまでは思っていない俺が、借金をしてでも賭け事を続ける人に対して賭け事のゲームの内容で競うというのが得策ではないことは分かる。

どちらかというと、俺自身も博打はやめたほうがいいと諭す理由として、自身が博打で充分にひどい目を経験しているからだろう。博打を体では辞めていても、頭の中はゲームでいっぱいなのだ。飯は店屋物で、値段で勘定していて、その額に対してお金をどう稼ぐかの選択肢ひとつに賭け事がよぎる。

この思考法自体をあらためても身の安心があるとまた何の役にも立たないゲームのことで時間をつぶす。そうしてブログを通してゲームの勝ち方を人に伝えようとするが、それはゲームを流行らせて参加者を増やし、ひいてはその取り分に当たるものを大きくして自分のものにしたいという野心があったことからの名残だろう。

マジックザギャザリングについて考える時間で日々が過ぎてゆくのは賭け事に身を滅ぼすのとどれほど違うのか。ただ、分かるまで考えて何かの考えに至った時に喜びがあるのは間違いない。今日もそういう日だと思っている。

まあ、今日の文中にゲームの解説らしきものは何も入っていないのはあしからず。