五輪閉会

あっという間の17日でした。

今までオリンピックって主にニュースで金メダリストがゴールする瞬間とかを録画で何度も見て、北島康介さんの「超気持ちい!」は流行語だったとか印象から想像した部分が大半でした。

それが半世紀ぶりに東京でってことで日本の電機メーカーやテレビ局が総動員で中継してその全体像をテレビカメラの追う範囲で掴めて「ああ、こういうものだったんだな」と。

憧れていても実情を知らないから光の当たった面だけから想像していたものが、臨場感を持って大画面サラウンドで観戦や応援していると自身がスポーツ選手として金メダリストそのものでなくとも分けてもらえる感動で何にも不満はないです。

閉会式を見ながらピザを食って缶ビールを飲み、エアコン付けて寝て夜中に目が覚めて寒くて、生きているって何て辛いんだろうと泣きそうになりました。

何故かは分からないけど。

何となくだけど日本で安心して暮らすには警察の人が持っている以外の銃とか刀とかいらなくて、むしろ誰も持っていないから得られる安心のほうが大きくて、知識欲があって多くを知りたいと思っても闇に葬られたタブーを知らない方が幸福感のある暮らしなのかもな。

たぶん、ちょっと腹が減ってるからだと思う。お金に換算すると割高でも、お祝い事の後にはお腹いっぱいのご馳走を食べてよく眠りたかった。

なんかね、友達の家で麻雀して徹夜で辛くて朝方にみんな寝て起きたら友達のかーちゃんが部屋に菓子パン放り込んでくれてみんなでワサワサ分けて食べるのがいかに幸せか。

最近顔の赤いブツブツが治りました。食生活としては朝食にバナナを摂るようになったことかな。アスリートの皆さんに顔にニキビできている人ひとりも居ないのは壮健美人ってこと?

体を中からキレイにするのと同じように、俺の精神もたぶんどっかに病理があるわけで。何も知らないよりは生活できるだけ外界の事を覚えたようで、それが学校で習ったことや本で読んだことと擦り合せるのにどこかまだ馴染んでないところがあるんだろね。習ったから正しいと強情っぱりになれるほどしっかり習ったとも思ってなくて、学校行ってる時から飲み込めなかったことのが多い気はする。

むしろ勉強量を増やすのも大事だけど、教科書に書いてあること以外に学校や塾で投げかけた素朴な疑問に対する先生の答えとか、それを無意識に飲み込んで自分の行動理由に組み込んでいることが他の知識と不整合を起こしている気はするよな。

律するということ。オリンピック競技車はみんなそれが出来ている。都市を形作る文明と体を鍛えるスポーツは相対する部分もあるなか、東京でもそれは成立したし、3年後はフランスのパリの街で競技が行われる。また3年かと気が遠くなる傍で3年後にも楽しみが出来たとも思える。

閉会式で花火が上がる瞬間にフッと安楽死できたら。なんとなく今まで興味から遠ざけていた昭和までの荘厳な葬式で人生の最後を迎えることを想像してみた。その時には自分は既に死んでいるわけで感知できないかもしれない。ただ、臨終の瞬間に葬式して墓に入れてもらえると思えることが死の安楽にどれほど影響するだろう。

まあ、部屋が暑いからだな。居間に行ってクーラーかければ考え方も変わるだろう。


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