法治国家

逆らえないものってのはあると思うんです。

不慮の事故とか病気とか。

もちろん安全運転とかお医者さんは生を全うするにあたり障害となるものに抗うべくしての行動とか職業だとは分かっていて、たとえヤブ医者と言われててもお医者さんの言うことならすんなり聞いてしまうような子供ではあったんです。

学校で習うことにも自然科学の入り口である理科は抗えない自然の摂理だけれど、政治などの決まりごとを学ぶ社会科は自然にそうなることではなく自分の及び知らない所で誰かが勝手に決めたことだからとどこか突っぱねようとしていたんですよね。分からないから。それが決められたのが生まれるより前だったという世代にとっては民主主義で選挙で決まったことでも王政で決まったことでも、生まれる前から決められたのだから同じように理不尽に思えたんです。

もちろん、俺らは豊かな時代の恵まれた子供で、俺らが生まれる前はもっとひどくて皆んなで決めて良くしてきた、という話は何度も説かれました。ただ、その理屈は左寄りで、ウチは爺さんの代の財産が相続税で取り上げられて親父がすごい謝金を抱えていたんですよね。

まあ、言いたいことはたくさんあって、まとまりきらないからここは少し我慢して、俺が小学校の時にはウチは町屋で同級生の何人かはシャルマンコーポというアパートだったんですよね。町屋と違って何とも豪華な響き。名前がシャルマンコーポ。洋風で大きくてとても良い家だと俺は想像していました。

しかし就職して2年目に貯金で親元を離れ住んだマンションは6畳の1K。大阪市内家賃5万円。それでも憧れの自立だったし仕事も順風満帆に思えたんです。

実家に帰ってきてスーパーでの買い物やパチスロのついでに脇道を通ると「ああ、ここがシャルマンコーポだったんだな」と。確かに今でも少し洒落た外観は保っているけど、駐輪場のある2Kくらいの分譲マンションな訳ですよ。

はっきりと「いじめ」と思われる行為は憚られるのでしないけど、決まりごとの中でテニスに例えるとコートの真ん中に打ち返すのではなく、見逃したらアウトになるかポイントになるかスレスレのところを狙って打ち返す。シャルマンコーポで育った子供たちは小学校から既に何かを勝ち取るためにルールを理解して結託して町屋の子供を敵に回して戦っているんです。

そこへ来て、小学校に行ったらお友達というのが出来るらしいなんて呑気に構えていたんですよ。もう、入学前から外から狙われていたとでも言った方が正しいと今なら思える。親が目一杯入れ知恵してから俺と両親は学校のテスト勉強が競争のルールだと思っていたけど、周りの子は「富を奪うこと」これが目標で、競っていることがそもそもズレている。

テニスに例えると玉をラケットで打ち合う遊びだから相手のところに玉を返してそうすると自分のところに玉が返ってきて二人で面白いと思っている子供と、顔面に玉をぶち当ててやろうとか打てないところに返してポイントを取ろうとか、狙っていることがそもそもズレていて、思うようにやられてしまうわけです。知らないのが悪いという論理で。そこに仲裁者はいない。

まあ、ぞのうちに分かっては来るんですけど、やっぱりしょっぱなの理不尽さが残って。

周りの人の敵意の集合が抗い難い壁でした。そもそも、何で僕だけ敵に回されているのって。

俺はその後に私立の中高から専門学校に進学したけど、その校長先生は昔に奈良で教師をしていて「学校のA組B組の分け方が東大阪の学校で奈良方面から通っている学生と大阪府内の学生で分けているんだよ、そうしないと大阪の子と奈良の子が混ざると大体は奈良の子が大阪の子にいじめられるんだ」と話してくれて、なるほどなと思った。偏見と捉える人もいるかもだけど、2年通って納得した。

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