革命と弱者救済のパラドックス

 俺の好きなパラドックスパラドックス言いたい。パラドックス言うよ。

 そんなに難しい話ではない。「経済で革命は起こせるか」を命題とする。経済はお金のやり取り。革命は主従の転換としよう。圧政に市民は立ち上がる。

 では、何から始めるか。小市民みんなで積立貯金をして、100株ほどで良いから、配当の出る単位株を買うのである。俺がこれを目論んだのは2012年頃であったはずだが、2009年に株式電子化の波を受け、書店には勝間和代の「お金は銀行に預けるな」という投資本や「金持ち父さん貧乏父さん」という不動産と株式投資で資産を築いたロバートキヨサキの本などがよく売れていたと記憶する。

 そして、個人投資家が増えて電子決済が自宅のパソコンや手のひらのスマホでできる時代。革命家たちはそれぞれに投資商品を見比べて、情報をもとに売買が同じ商品に集中する。元来オモチャであるはずのPS5やswitchとて、市民にとっては降ろせないサラピンの商品であり、定価は仕入れ価格となり、儲けを含めて転売される。株の特定銘柄も決算スケジュールに合わせて電話注文では銘柄を口頭で電信する間に言い終わるまでに取引価格が変わる。

 ところで、もともと革命をどこに対して起こすのか、漠然とそれは政府、総理大臣、霞が関、丸の内あたりがターゲットであったはずである。

 そして、市民はなぜ革命を起こそうとしたのか。文無しでパンすら当たらないのに、王妃が「代わりにお菓子を食べたらいいじゃない」と言い放ったからであったかもしれない。

 では今、戦っている市民は何を武器としているか。それは、少額ながらもお金であり、遊んだことがなくてもゲーム機というドウデモイイ商品なのである。既に少ないながらも、市民は文無しではなく資産や貯金を持っているのだ。

 ここで最初の命題は何であったかというと「経済で革命は起こせるか」である。革命とは市民が力でもって為政者を倒すことであるが、為政者が富の分配に対して主権を持ち、持たざるものが貧民である。確かに、資産の額では貧富の差は革命以前より広がっているかもしれない。だが、それでも市民のその手には既にお金が与えられている。ミイラ取りがミイラになって、お金を使って物を買う暮らしを覚えてしまったばかりに、仕事をしないでお金を求めているのだろう。

 もちろん、その革命に取り残された貧民もいる。そしてその取り残された貧民に手を差し伸べるのではなく、より多くを持つものを槍玉に挙げ続けているのだ。ここに公平は既にない。


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