音楽表現としてのLOVE TRAIN

 「三つ子の魂百まで」とはいうものの、少年期は大人に子供扱いされるのが嫌で早く年を取りたいと思ったものであった。

 それがこの歳(2022年時点で44歳)になって、ふと子供の頃にカセットテープで聴いた音楽を思い出すのである。その前には親の寝室でかかっていたオーディオがあるわけだが、お姉ちゃんがレンタルで適当に新譜を借りてきてダビングしてポイした中から、親父が店用に仕入れて売れなかったから(俺がもらわなかったら売れたかもだが)もらった「遊歩人」という中国製のカセットテープ再生機で聴いた。その前にはソニーウォークマンが大ブームだったわけだが、親父はブランド物は結局は下請け業者に作らせてロゴを付けて高く売っているだけだという思想があり、ノーブランドやコピー商品が好きだった。

 姉はというとブランド物が好きでオーディオはソニーで統一していて、お姉ちゃんは良いものを買ってもらえるのに僕のはなんでボロいのかとも思っていたが、そんなことよりカセットから聴こえるTM NETWORKの音楽を聴けば心は未来や宇宙を思い嫌なことは忘れた。

 今ならストリームでもライブビデオでもTM NETWORKを聴きたいと思ったらいつでも聴けるわけだが、何故か耳に残っているLOVE TRAINのシンセベースが頭に響く。テクノという音楽ジャンルはデジタル楽器を使うのが特徴だが、アナログのカセットテープでも音源がデジタルだとそれと分かる。アナログをデジタルにするには分解能の問題があるが、デジタルをアナログに録音してそれと分かるのは音源のデジタルの分解能が低いからだ。

 ダンダンダダンーダンダンダダーンと響くシンセベースはつまりシンセサイザの機械音でベースギターの音を模したものだが、その音がミキサで大きな音量にされて曲中で強調されている。その訳は最近になってやっと分かったのだが、当たり前の話でLOVE TRAINだからトレインつまり機関車とか電車のレールの継ぎ目で揺れるガタンゴトンという音を楽器で音楽に表現したものだろう。

 つまるところ、子供の頃に親父の車でどこかに連れて行かれるのではなく、自分で切符を買って電車に乗るということがひとつのステップアップで、ガタンゴトンの心地よさがそのままレコードの中からベース音を聞き取って、それが強く印象に刻み込まれていたのだろう。

 なんとなく懐かしんで聞き直すとCDなんかを求めたくなるのだが、買ってしまうとそこまでで思考停止になる気はする。意地でも自分で編曲を再現してやろうとしているうちに2日経った。その間に、テクノグループだったTM NETWORKからヴィランとしてメディアに取り上げられるようになった小室哲哉は既にキャラクターでしかなく、配下にどれほど人がいたのかと想像を広げる。

 ただ「偉い人」となって鎮座するのではなく、最後まで現場に残って楽曲にこだわり続けたというエピソードが印象に残っている。最近の楽曲を聴いてもそういうことは音楽からは感じられないが、TM NETWORKの時代にこの音楽を作っていたんだと思うと、その強いこだわりは過去には確かにあったのだろうなと想像できるのである。


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