人は宇宙で暮らせるか?無理が通って道理が引っ込む話

 アポロ計画は作られた映像だった。そんな話はいつからあったのか知らないが、俺が専門学校にいたときに(1998年ごろ)コンピュータグラフィックスで宇宙映像を作った。球体のモデルにテクスチャーマッピングを施して木星やら水星を作って遊んでいた。天体観測もろくにしたことが無い俺が描いた木星は雑誌や写真集で見たことのある写真がもとだ。

 元も写真ももしかすると望遠鏡で見たものなのか描かれたモノかも分からないのだが、写真でしか見たことが無かったものが映像に起こされて3Dで見られるようになった、ということでその頃にまたアポロ計画が映像だったという話が盛り返されたのも納得である。宇宙飛行士のモデルも作ったからね。

 まあ、高卒から専門卒に。自然科学の勉強を高校でやめてそっからコンピュータひとすじだったけど、数式と映像だけでモノを考えながらもらった給料で飯を食う暮らしにも飽きていた。所詮は虚像という思いと、ユニオンシステムは設計事務所なので科学とか宇宙よりも立体映像が建造物に変わる建築業の方に興味は移っていた(2003年ごろ)

 しかしまあ、深層心理で宇宙に興味があることは宇宙の映像から作り始めたので当然のことであろう。あとは古代エジプトツタンカーメン王のマスクな。小学館とか学研の影響なのだわ(1985年ごろ)

 ただ、高校までの物理とコンピュータでの計算が合わさると、科学にどんな未来があるかって、質量保存の法則やエネルギー保存の法則を疑うことなく、地球目一杯の全質量で太陽の周りをクルクル回るのが精いっぱいなわけで、それが太陽系や銀河系の外に出る質量を持って移動することなど無理ではないかとか漠然と考えていた。

 それでも、出来ないからどうにか他の方法は無いか考えることで発明は生まれるかもだし、退屈だから考え事も面白い。化学変化とかで、質量以上のエネルギーを出せたら宇宙の外ってか太陽系の外まで飛ぶだけエネルギー出ないかなぁとか創作レベルで考える。

 まあ、そうなるとSFの常識みたく地球と月の重力引力の均衡点ラグランジュポイントスペースコロニーを作って少人数で移住する、みたいのが半世紀以上前から考えられているってのも昔も今も合理的な考え方の着地点は似たようなところなのかなと。

 ひとたび、そんな絵空事に思いを馳せていたことも忘れて歓楽街で酒と女遊びにパチスロと荒んだ時期もあったが、まともに戻ったのは遊ぶ金がなくなって想像を巡らせるのが案外と安い趣味だからでもある。反対に宇宙を目指す実験はカネがかかりそうだが「これならいける」と思わせる論文が書けたら「やってみるか」と公金が下りたりするので、貧乏な人ほど宇宙に行く方法を必死で考えるのかもしれない。

 新しいXBOXとかPS5とか小遣いから考えたら高価だけど、俺が20代から働いて使ったカネの総和から考えたらはした金みたいな金額よな。それだけの釣銭なわけだ。映像だけでは満たされないことの証拠みたいな値段なのかもしれんよな。


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