ブッディ

 とりま昨晩ソロモンズ倶楽部の5-6だけは解いてから寝た。

 今日も龍虎の拳2のスーファミ版が気になったが、だんだんそれに気を取られなくなってきた。そしてY君以外にK君もよくゲーセンで遊んだのだが、逃げ去るように居なくなったことを思い出すのである。今頃何してんのかなと。Y君はケータイ番号を変えていなければ電話くらいはつながるが、そう思っていた他の友人がふと番号を変えたか消えたこともあり、番号を持っているという安心感は掛けたらそのおまじないは消えるかもという不安も表裏一体となり、去る者は追わずの精神で生きることとした。

 まあ、考えてみれば中高6年間の学友であり、卒業後は同窓会まで合わないことも普通で、俺がバイトでそれぞれ別の大学でまた遊んだのが奇跡的な仲良しだったが、進路も違うのでお別れになるのは当然だ。俺は大阪にY君は東京にK君は滋賀だったはず。

 それもそのはず、3人とも自宅から通学で俺は家から自転車の距離で電車に乗って来てからバスで行くものもいれば自転車のものもおり、俺は雨の日バス普段自転車で弁当組と食堂組がいて、母親が頑張ってくれる日は弁当で面倒になると小遣いもらって学食で、学食代は爺さんに大目に言ってちょろまかしてゲーセンだった。

 だからバス友、チャリ友、弁当組、学食組、ゲーセン組と学内での部活などの派閥を超えて交際範囲が広く高二で文化祭の実行委員で高三は生徒会書記だった。しかし成績は4クラスで3番目のC組だった。

 まあ、自分のことをあんまり語っても仕方ない気がするが会う人会わない人、無許可でブログの登場人物として描写されるのも気持ちいいものでも無いだろうと思って自分の事だけ語るのである。

 プログラマとしては退職あるいは休職中であるが、家で暇つぶしにゲームプログラムを書く程度にプログラムは好きである。古くは電子回路とかトランジスタ回路とか電子基板とか呼ぶものもパソコンで作ってプリント基板というものに焼けるようになり、そこから基盤式ではなくCPUとメモリを使ってメモリ上に論理回路を電気的とか磁気的とか、まあ今は多分電気というか電子的なのだろうが、ソフトウェアを無理やり日本語化すると軟装とでもいうか。業界的には実装と呼ぶ人もいるが、これはハードウェア的にプリント基板に焼くことや半田付けで作るの意味で、ソフトウェアは実装と言っても通電で変化したりするので実装というのはちょっと違うんちゃうかと思ってる。でも業界用語で「設計、実装」と書けば同じ仕事を1回で1日寝て日報報告すればサボれるので皆そんな感じで使っている単語なのだと思う。

 そんで何でプログラムの話かというと、この論理回路は近年ではプログラム言語で書かれて、コンパイルというものを通して論理的に無矛盾か検証してから仮想回路になるのである。出来ない奴が出鱈目にプログラムを書いてもコンパイルエラーで機械というかコンパイラソフトにはじかれるのだ。

 まあ、日本の最高学府である大学の課題でもコピーを取って切り抜ける学生がいたように、そんなのが就職したら誰かのプログラムをコピーしてやろうとするのは動機として理解出来て、コンピュータの黎明期には発明ひとつで巨万の富を築けたかもだが、そんな伝説はいざ知らず、巨万の富を築いたものが権力を求めたら周囲に人が集まって組織になるので組織員としてプログラムを組んで周りを出し抜く何かがあればすぐにスパイされコピーされ模倣され横並びで組織の力で平たくされるのである。

 それで大企業よりベンチャー企業となりがちなIT業界だけど、プログラマのベテランになるとコンパイラと戦ってエラーに悪戦苦闘しながら泊まり込みで組むのではなく頭が論理回路に慣れてサラサラと無矛盾なプログラムが書けたりするものである。

 そうなると専門職としてそれ相応にギルドや組合員がいるのであるが、そういう頭でもって世の中を見たときに世の矛盾をどれくらい許せるか、今度は仏教である。真理とは無矛盾であるはずだと考えてきた俺に坊さんが「矛盾を許容する」なんてことを言ってきたのだ。

 これに対して俺の最初の答えは「仏教は嘘である」だったが、今の解釈は電子回路としては成立しなくともコンパイルを通らない矛盾したプログラムでもプログラムコードとして文字列的にというか、メモリ上にはそのプログラムは「存在する」ことになる。

 そう考えると、世の中の全ての事を無矛盾に論理回路には出来なくても、迷いや間違いを持ったままの人間でもメシ食って働いて遊んで寝て生きて行けるものではある。

 ただ、その中で付いた嘘が恥ずかしくなって合わす顔が無くなるとか、付き合う価値みたいな損得勘定で得できない相手と判断するとか、単に興味や関心が無くなるとか、生きるための仕事の場が遠く離れてしまうなど、人と人とが合えなくなる事情だって無数に考えられるわけで。

 そうするとハードウェア的に近所の人とか街に来る人という風にすれ違う人間に興味を持たず、学問を一緒にした学友やプログラムを一緒に考えた先輩など、自分が自分の基準で認めた人とした付き合わないみたいな態度が偏狭で、しかし彼らの記憶はあるのでそうしてこうしてタイピングで文字を打つ生活が基調となり、分かり合えない寂しさのようなものをどう埋め合わせるかと悩むけれど、ふと出してもらった料理の味が良く出来が丁寧であることなどに自分の仕事の中途半端さを恥じるような事もある。

 ふと料理を思うとY君を思って龍虎の拳2をぽちることを居酒屋の主人に相談したら、それを「龍虎の拳」(無印初代)で遊んで我慢してウチの店で酒瓶1本開けてくれないかって返されるかもなぁ、と思ったりすると、まあまあビンゴの時がある。


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