19の頃の直感もさらに26年勉強すれば論理になる

 科学の基礎である論理性について、口下手で説明できないものを弁論で負かして「非論理的である」とすることは出来るが、誰しもその行動は何らかの論理に従っている。

 それは腹を割って自分の行動原理を全て論理にしてしまえば何か意図が汲み取られて意図が汲み取られることが作戦失敗とか商売の損失になるから、なかなか本音にたどり着かないのである。本音で言うと、失敗する。だから言えないのであって、そこを非論理だと高圧的に攻めるのは敵対行為である。この意味で俺は友達関係を作りながらも多くの敵がおり、それでも懐柔しようとしてきたのではないだろうか。

 例えば、格闘ゲームで勝つなら強キャラというのは誰でも分かる論理だ。それでどれが強キャラか割り出す際に勝因が本当にキャラ差であるとするためには腕が同じでないといけず、運か腕かキャラか判別して、まあ客観的に勝敗を数えてダイヤグラム1位ならそのキャラが最強であることは納得するものも多いであろう。トーナメントの優勝を競うでも、最強キャラか、最強キャラに有利が付くキャラで籤運を祈るか(最強キャラには強くても他キャラに負ける可能性もあるため)このへんが落としどころだ。

 それでも、俺は格闘ゲームで強キャラも使いつつ、メインキャラを別に持つことが多かった。それは何故かと尋ねられて用意した答えは「ハンデを付けてやっている」だが、本音としては恐らくそうではなく、キャラ人気を取ってみて、強キャラなら強キャラ厨で、人気キャラを背負うとギャラリーが味方になり人気者である。だが、そのキャラでの競争は熾烈となり、同じキャラ同士でいちばんを取ってもすぐに真似るもの後に続くものが現れ、キャラが強いことが有名になっても誰がやっていたかということは印象に残らないのである。

 ことストIIではダルシムが最強ということで落ち着いた感があるが、ダイヤグラムがハッキリでる前の攻略段階ではダルシムが強いか弱いかは分からず「面白いキャラを使うやつ」ではあった。

 つまり強さや人気の無い旨味のない不人気キャラを使うことで、各キャラ毎の使用人口を見て最も不人気キャラでそのキャラの中でのトップを狙えば他よりは簡単にキャラと人が「このキャラはこの人」となって、目立つというか印象に残るのである。

 このへんが19くらいまでの俺の考えを数的とか論理的に示した「狙い」であろう。

 これはもう、45歳という歳で色々の経験をしてネットで様々な分野のトップと比べて、俺が勝てるものなど何かあるだろうか、と考えたときに何もないかもしれないが、一番でなくとも居る意味というか居場所があるとして、同じで並ぶものがたくさんいるところで戦う意思を持った時にやっと明かす気になった「若い頃の作戦」なのだ。

 19の頃でもそのくらいの事は直感的に考えていたし、それで仲間もたくさん出来た。しかし、上手く言葉にすることは出来なかった。世の中には間違った論理でも上手く説明できるものが聴衆をつかんで論者足り得るのだ。しかし、大抵の論理は若い俺から見て何か計算が合わなかった。多くの科学論文も後に間違いであることが認められたが、それも間違いであることが認められることで科学の牙城を崩せるとジャーナリストが取り上げているということで、段々と科学の精度のようなものは上がっているとは思う。

 しかし、あまりに複雑になって、心理も絡むと正しいことを学ぶ前に簡単で分かりやすいことに騙されてしまうし、本稿の人気を避ける戦い方が科学的だと思われて知れ渡ってしまうと不人気にも人気の論理が後押しして人気が出てしまい再現性は無くなってしまうかもしれないのだ。

 こうした理由で大抵の社会科学は商売か選挙の人気を取るための裏読みの隠されたロジックであって、明かすことでその効力を無くすのである。これは競争に負けた商品が安売りになるのととても似ている。以上の理屈で俺は勝つために強キャラに乗り換えることが安直に思えても論理としてはそちらのほうが丈夫というか、説得力を持っていることに悔しいながら同意するのである。


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