苦節25年ようやく仕事が認められる

 既に廃校になってしまったがサンタックコンピュータ専門学校で俺は情報処理専攻学部コンピュータグラフィックス学科の卒業生である。卒業証書には工業過程専門士とあり、資格は情報処理技術者だ。

 これで新卒の時ゲーム会社などを当たり、就職が無かったわけではなく上本町の小さなパソコンゲーム会社に入ったのだが、人事の人に「絵はねぇ、デザインの専門学校出てる子じゃないとダメなのよぉ、あなたプログラマーでしょ?」などと言われ我慢して働いていた。

 それから転職してプログラマーとしてはまあ色々できるという事で売れっ子ではあったと思うが、したい仕事では無かったのでもらった給料はヤケ酒に女遊びで使っていた。この点、俺の「やってられない」が居酒屋さんとか風俗嬢ほどやってられないかというと、十分花形のプログラマー様だったのであるから、俺の愚痴など誰も聞かない。

 そんでまあ、苦労話は自慢話ってことでここらで置いておいて、カワンゴ社長の計らいと高い技術でウェブで3DCGを発表できるようになったのである。

 まあ、元からレンダリングして動画にするとニコニコ動画で発表できたわけではあるが、25年前にその仕事が一部のゲーム会社の中にあったのかなかったのか外注だったのか、3DCGでモデリングからライティングカメラワークレンダリングというアメリカの手法を取るとミドルウェア住友金属などが版権を持っており、個人で専門学校と同じ機材を揃えるのに普通の仕事1年分くらいのお金がかかり、そしてその上で副業ではなくフルタイム計算してで何カ月も打ち込まねばならない。

 そのモデリングレンダリングモデリング作業部分だけでお仕事になるように環境が整備されたのだ!

 んで、それが何になるの?というとガンダムがクルクル回るだけで、ソニーがプレステで見せた25年前の最新映像と何が違うのと言うと、家電最大手ソニーが社運を賭けたのか末端事業だったのかよく知らんが、あのプレステ開発と同じところまで富士通のパソコンで出来るようになったのだ!って、黒プレステ(開発機)100万くらいでソニーが出してなかったか?俺の初めてのパソコン親に50万くらい手伝ってもらってなかったか?などと色々なフラグがあるわけですが。

 そうすると時代の先端は今どこにあるとか、何が始まっているとかは分からないんだけど、とりあえずパソコンで何するってネットで暇つぶしかAVをタダで見るくらいしか使い道が無さそうで、工業CADみたいな仕事を何で家でカネももらえないのにやらなきゃならんのかとか、色々の疑問はあろうかと思いますが、家でロボットが作れる!

 まあそんでコンピュータグラフィックスと言うと映像なので、見たらナンボでネットで見せたらそれでおしまいなのである。卒業の時は作品を就職のために未発表で企業に送付していたが、希望の就職も無かったし、見せてしまえ!ということです。

 (13個のイイねをもらいました)

 卒業制作のムービーは当時最新だったMOディスクに入っており、多分今見るとヘボいんだろうなと思うけど光学ドライブも外付けでないと見れない、オーパーツみたいになっております。

 映画のDVDやブルーレイでも1枚980円で、個人CGクリエイターでどうやってメシを食うのかと言うと、ニコニ立体でモデルでクリエイター奨励金をもらうってのホント「アメリカの仕事の現実」という風評と似ていて、先行きというか見通しはまだまだです。そう考えるとプログラマーってあの時代でも今の時代でも儲かるか業ではあったのだなぁと思いながらも、お金以外の評価は全部散々だったわけで、飲むしか無かった。先にも書いたけどね。

 そしてクリエイターの現実は今の俺のように親父がまだ元気で店があってすねかじりみたいな仕事でパソコンでお小遣い稼ぐと言いながら機材代の元がなかなか取れず、のり弁とかマクドを食って夜に缶ビールのなかでもやっすい発泡酒のアルコール分が高いやつを飲んで寝るだけ。

 だけど家でロボットが作れるんだよぉ!それをみんなに見せてイイねもらえんだ!


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