「無益な争い」という言葉は集団での益の話であって

ゼロサムでも勝ったほうが得する争いは世の中で絶えないものだと思う。

奪い合っているものが例えば10円であれば月収25万のサラリーマンからみて子供の諍いに思えたとして、小遣い50円の子供のしたら1週間にわたり作戦を練るに値する争いであったりするものだ。

俺はそこそこもらえる仕事をしたこともあれば、その仕事がなるまでの勉強とか日々片付ける課題の難しさで割に合っていないと思ったことがあり、いっそバイトのほうが楽そうだと思って会社をやめてバイトしたことがある。

そうしていい歳こいてバイトになるとバイト歴が長い自分より若い人が新しいバイトを口で使おうとするし、皆で食堂に行くとバイトでも写真食堂でメシは食えるのだが、魚の大きさやご飯の盛りが目分量で係の人のいないところであっちのほうが多いだとかこっちが少ないとか先に並んで注文されると後の人の分が足りなくなって別メニューになったり、挙句の果てに別メニューが特別だと後のほうが良かったみたいな話をしている。

確かに自分が思っていたとおりに仕事自体は半分の給料で半分以下の仕事量というか、出勤して定時までほとんどすることがない。コンビニでいうと客のこない店ならラクなのか、という話に近い。客のこない店は恐らくいずれ潰れてしまうので、そこに長居は出来ないと予感して俺の場合はやめてしまう。

だが、現実には客のこない店には宣伝や商品改良などのするべき仕事は山ほどあるわけで、そういう風に新しい仕事を見つけて分配するのが管理職とか上位職の本来の仕事である。俺の目標はそういう仕事を下にいながら取り上げて、回るようになった店のあがりを労働者に分配することだった。上を目指すわけでない。上と同じことを下でやりたかったのだ。

正義のヒーロー仮面ライダーの話の中には仮面ライダーの噂が広まったことを聞きつけた悪党がにせライダーを作って町で暴れさせてライダーの評判を落とそうとする話がある。これは無益な争いではなくライダーが損をしてショッカーの得になっている。

ショッカーは社会の損を企んでいるので、ライダーが損をして町の人が損をするとショッカーにとっては一挙両得の作戦なのである。

結局の所、何の仕事でもメシも当たらないということは日本では滅多に無い。外国で戦争があったら貧しい人に食料を配りに行く人だっているくらいだ。それで皆にメシが当たっている中でも細かい争いというのは後を絶たない。俺だって長いことあっちのほうが良さそうだとかこっちのほうが良さそうだとフラフラして、それで結局どうしたかというと貧しいと思えた自分の家がまだマシかも知れないと思えるようになったんだ。

親兄弟に多少の不満はあれ、会社の椅子を奪い合う月収25万か時給950円かを賭けた醜い争いのやるせなさと比べたら親子喧嘩や兄弟げんかのほうがはるかに我慢しやすい。なってみた高給取りというのもそんなに良くはないものであったが、もういちど戻りたいと思っても滅多に決まる仕事でもない。

ちょっとずつ、だんだんと、高給取りからは無益に思えた下々の競争がどういうものか見抜いて、ほんのちょっとの益を重ねることで貧乏に思える暮らしでも満足は得られる。そのひとつひとつがどれほど分かりにくく教えがたい繊細なことかというのと比べたら、勉強して管理職になるほうが大雑把に言って成りやすい。

そうして今あらためて何か言えることがあるとしたら、無益な争いというものは無いということ。抗わなければ、もっと悪くなるものを必死で抑えている戦いもあるだろう。だが、そこで争うことをやめて別に手を回せばよりよい結果が得られることも俯瞰できる場合があるだろう。その先にどんな争いが待っているかまでは予見出来なくても。