カレーで育った中流ですから

 考えごとの出発点は人からの非難にどう立ち向かうかであった。

 高卒でバイトをして、もっと高給の良い仕事がしたいと専門学校に進み、卒業後ソフトハウスに勤め、実際に高給となった時にそれを隠しておけば良かったかもだが、異性からモテるためには金はちらつかした方が良いという失策から、同一労働同一賃金を語る左の方から「何の仕事をしたらそんなにもらえるのか」とすごいやっかみを受けた。

 公平と平等というのは難しい概念だが、国民が法の下に平等であるといっても法の支配自体は虚構である。法律違反をしたら刑法なら刑事、民法なら民事で裁かれて、その時には法は効力を持つが、警察が留置場に閉じ込めるか罰金を取り立てるかのふたつだけが現実で、それが怖くておじおじと法を犯さないようにする支配というのは虚構だ。

 ところで、公平も平等も虚構だといったすぐではあるが、労使関係において払われる給料は現実である。その現実は労働者に平等という虚構を思わせるためにあり、それを外れて給料の高い人とかがいると「なんで俺らは」と思うものなのであろう。特に同じ会社の中で、若いのに年配者より給料が高かったりするとなおさらである。

 学歴や資格ならあきらめも付くのかどうか、それは人にもよるだろうが大卒より専門卒が能力給だと高給を取ってしまったことが不平が言論となった契機である。

 しかし、現実には能力給を置いておいて、製品の品質を市場はどう決めているかと言うと、それには評価部門がある場合もあるのだが、自由経済競争に於いて売上高がある、よく売れる、品質があって定価があっても利益があって本数が出ているという事よりも直接的に給料に結びつくことなど無いのである。

 それはさておき、目下現在の生活は高給取りから退職して年金暮らしである。今日の昼飯はCGCという中国メーカーのカップそばとレンジごはんに冷蔵庫で去年に賞味期限が切れていた納豆を恐る恐る食べてみたら、多少の酸味はあれ大丈夫だった。貧しい。

 貧しいのと不味いのは極めて近い概念であり、お金が無くてもうまいもんが食えるならそれは豊かであるし、それは高い給料をもらったら高いうまいもんを食って喜んでお金を支出するというような考え方を産む。俺は高給取りではあったが、よく安い飯を食って新しいコンピュータを買って本で勉強していた。だから、安い給料でもそれを全部余暇や生活の拡充に使って、不勉強な人から給与格差を咎められることは不服があった。

 なってみると年金暮らしでもメシがうまけりゃ文句はない。俺は栄養を学び、ある日からというか徐々に好物だったアンパンやメロンパンと同じような値段でタマゴサンドやソーセージの乗ったホットドッグが食えることを知り、甘くは無いがタマゴやソーセージでタンパク質を取るとふわふわのメロンパンよりは栄養があることを知り、味を切って栄養を取り、安い食費で丈夫な体を得たが、不味いので不幸をどこか感じていた。

 そこにやって来たのが78円で売られているアンパンの隣に「100」と書かれた一見何の変哲もなさそうなアンパンが売られていて、手に取った。

 そのアンパンには餡とホイップクリームが入っていた。旨いし、ホイップクリームと餡なら栄養があると思った。

 それから何度かそのアンパンを買ったが、何故買うのか分からない100円のあんパンを探すようにパン売り場を動いて買う姿は他人の目に触れ、真似て買うものが現れた。さらに「ホイップクリーム入り」と袋に書かれた競合商品が出て、しまいにはスーパーからどちらのアンパンも姿を消し、俺は78円の元のアンパンを買った。

 家には余っている牛乳があったので、アンパンを食って牛乳を飲んだ。

 子供の頃の好物だった。

 ウチは週に3日くらいカレーで、母親が適当に買ってくる菓子パンの中で賞味期限を心配しなくてよい中身のないメロンパンも甘くて好物だった。

 カレーは幸福のバロメータである。カレーで何をどう測るのかというと、カレーより上手いか不味いかとカレーより栄養があるか無いかである。

 ワインの評論に「芳醇な香り」というような言葉が使われるが、味をして五味があるように、芳醇とは甘いのか辛いのか酸っぱいのかというと、香りと言うのは味よりも多次元の感覚器官で、細分化すると無数の香りを人間は嗅ぎ分けるらしい。

 カレーと言えばスパイシーな香りである。だが、スパイシーとは「スパイスの」を意味する俗語でスパイスとは邦訳すると香辛料で、平たく言うと「香りを付ける香料の香りがする」というトートロジーなのっである。

 では何故に昭和の日本でカレーが食されていたかと言うと、大英帝国の世界支配に倣いアジア支配を目論む日本帝国の発展において食の西欧化のステップとして洋食に使われるスパイスを原産地のインドから輸入するのが貿易の初歩であり、そのスパイスが英国とインドでカレーとして食されているのを真似たところから食卓にカレーが並ぶのだ。

 しかし、カレースパイスと言うのは調合済みのごった煮であり、小麦粉と牛肉と野菜を香りを付けて食っているということで、牛肉の柔らかい部位をステーキとか焼肉で食う方がもっとご馳走であるというような文化があったように記憶している。

 肉とスパイスでもっとうまいものをと言うとフランス料理になるし、魚介を使うなら変わり種としてイタリア料理が挙げられる。

 それでも、同一労働同一賃金を主張する工場の社食ではカレーは普通だし、中華で余った面を油で揚げたものを捨てずに戻す五目あんかけそばがご馳走のように喜ばれる。

 高給取りであることは非難されたが、それが実際に減俸になった例は無いわけだし、やっかみがうるさいだけの話ではある。少ない年金生活でも不労所得だというやっかみが入ることはあるし、隣の芝は青く人は自分と違うものは全てその長所のみに目を当てうらやみ言葉で攻め立てる。

 それがネットの掲示板なら、開かずに放っておけばよく、たまに左寄りの人やどこかで噂を耳にした子供たちが家の近所で騒いでうるさいことはあるが、放っておくよりない。俺の生活如何ではなく、彼らの生活が少しでも豊かになることを願って本稿をアップロードする。


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