テレビゲームを操ることの逆説

格闘ゲームにハマった原因のひとつに恥ずかしながらサル山ではケンカに勝ったボス猿がメスを独り占めするように、人間関係とは勝ちを示してマウンティングするのが当然という痛さを根源的に抱えていた。まあストIIが出た中学の時に男子校で男子しかいないからゲームしか楽しいものがなく、チャイナドレスにストッキングの春麗が足払いでダウンする時にパンチラすることが60分の1秒のひとコマでサブリミナルに女性の誘惑を刷り込んでいる説もあるが。

そしてまあ、世の大人の定義は成人であるが20歳が成人で、マウントは思春期の少年および童貞の行為で子供が出来て初めて大人という定義の上で「大人同士の話」とする人もいる。そして、子供が出来る意味で大人になる以外にも理性で性を制御して大人の考え方ができる人はいて性的には枯れたような性格をしていることが多い。反対にマウントを取り合うサル男から勝ったものを選び取る女と、枯れてしまった男を何とか本能的にさせようとする女とか、あとは性的マイノリティとかがいる。

そして枯れている界隈の冷静さで見ると、テレビゲームが上手いにも色々あって、ゲームのキャラなどを巧みに操って大道芸のようなことをしているのは、むしろ計算機科学と映像デザインに音楽などで作り込まれたゲーム機のほうにこそ製作者の強いミームがあり、操作者はどちらかというと操っていると言うより機械に操られる傀儡の如しであるとするようだ。

その意味で、俺はゲームに挑む様々の理由を段々と失い、暇になっても電源すら入れる気にならない、となったことをまるで性が枯れてしまったような感覚で寂しく思うのだが、映像や音楽などは血肉となっていてタバコを吸って空や建物を眺めながら楽しかったと思い出す。

まあ、ゲームを作る側の肩を持つとしたら、自然に出来ることの代替品とか優越体験としてのバーチャルリアリティではなく、実現不可能に思える幻想世界の具現化としてのバーチャルリアリティであって欲しく、セガ最後のゲーム機ドリームキャストがまさにそういう名前付けネーミングされているという話。プレイステーションはもっと玩具的で、PS2からは追伸的の暗喩もこもっているのかもしれないなってのはちょっと膨らませ過ぎか。

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