貰い物の漬物や塩昆布を片付けるために米を買っている

俺は子供の頃からいわゆる母親の愛に飢えた子どもであった。

しかし、いつまでもそのままでは生きづらいので親父と母親が別居してから、母親はまあ生物的にはおそらく俺の親だが、父親を利用して富を奪った狡猾な人間で甘えようとしても隙などないから、それなら他人に厳しいわりに自堕落な父親が同居からの長い観察で愛すべき人間であり愛してくれない母親を悪者に考えることでバランスを保ってきた。

例えば戦前までは良く分からないが、苗字から宮家である俺の家はデモクラシーなどの影響というか、象徴天皇とか相続税などの政策で公家としての権力を弱められ、戦死や病死の多い中で何とか生き残った祖父が社長令嬢である祖母と結婚することで富を保っていた。そこに親父とくるとテレビっ子でカーラジオの音楽に夢中で自由恋愛したはずの母親は実は宮家に忍び込んだ抜け忍で、わりかし近いスーパーでわざわざ田舎の野菜を買って料理を作っていた。母親の実家からは米が送られていたが、親父の出す食費はまあブルジョワ級で、その割に大鍋でのカレーライスや出来合いの焼き魚など、今考えるとよく分からない食事だが、奈良には寺も多く菜食主義というほどではないが肉は食べてはいけないもので、食べる時は何処かコソコソとと云う背景から当時の食事はそれはそれで合理だったのかもしれないとは思う。

俺は深く考えていないので、コンビニで肉まんとファミチキを買って250円ほどで食事を済まし、いやそれ便利になったからだろうと突っ込まれるかもだが、母親のいた時代でもスーパーで鶏モモの照り焼きがそこまで高かったわけでもなく、シュークリーム1個100円を基準値にすると物価はむしろ安かった。

それで、俺は教科書通り米が主食で後はおかずという考えで25歳くらいまで生きたのだが過労で倒れて病院に運ばれ、家出同然で転居届など出しておらず免許の住所と実家の住所が合わないため家族不明で病死と届けられ、父親の元に会社から死んだと伝えられてから、マンションで意識が戻りゲーム仲間に精神病院に連れて行かれ精神病と診断されてから浮浪者同然の生活をして、残ったわずかな金で親父の方に電話をかけると「生きていたのか、帰ってこい」と帰ってきて、そこから15年以上経って今では親父と二人で親父の寝床は離れているので店の二階とトタンの小屋で別れて朝に台所で顔を合わすという暮らしなのだが。

そこで親父がもらってくるものが台所や冷蔵庫に貯まるので、そのまま食えるものは良いのだがいわゆる「ご飯の友」を消費するためにパックの米つまり「玄関開けたら2分でご飯」みたいなやつを1パック100円以上で買っている。

そして今日は納豆とすぐきの漬物で米を食ったのだが、もの足りず卵サンドを足した。この卵サンドがなかなかに良い奴で、それは上品という意味で高価な良い奴という意味ではなく、友達として気さくで良い奴という意味で、安くて旨い良い奴なのである。なんとご飯の友のために買ってくるパックご飯より手軽に食えて栄養価も高いのだ。

そこで俺は、米は弥生時代から続く政策なので、ご飯の友まで含めて漬物を作るのと畑と漬け樽の場所で鶏を飼うのとどっちがコスパ上なのかなと漠然と考え始めた。鶏卵は昭和以降の政策じゃないかと思うが、まあ疫病とワクチンの関係で科学が発達した近代以降の産業なのかもしれない。家畜の歴史は長いのかもだが、事業化されたのは近代という。

だがまあ、そこまで考えてみてから、母親はベビーカーを使っておんぶも抱っこもしてくれなかったが飯の支度はしてくれていたので、その飯や弁当こそがうちの母なりの愛で、俺は不味いものも旨いものも含めて愛憎入り混じった母親であったと思うことにした。


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