45歳になりました。

 寝る前に日付が変わり誕生日になったわけですが、誕生日が同じ東京のバンドの方が19歳くらいだと思っていたらもう27歳になって、皆からSNSでお祝いされているのを見ました。俺にもひょっとしたらそんな時もあったかなといったん閉じて、また開いてお祝いを言うと深夜だったのでもう寝てたかなと思ったらポツンと返信がきて就寝。

 珍しく深夜まで何をしていたかというとカプエス2です。ここ10年はほとんどひとり用ですが、対戦に明け暮れていたことは「人読み」が全てでした。しかし、ひとりでやるとなるとコンピュータは動くものの、ほとんどがイメトレのような強化法になります。パターンが決まっているものをハメて倒してもあまり意味というか発展を感じない。それでも、パターンを改良しながらコンピュータの弱点を突くように戦うのではなく、同じように動かせるプレイやキャラとして「やられえたらキツイ事」を意識して練習します。課題キャラはAバイソン。

 負けたゲームほど悔しくてよく覚えていたものですが、最近になって、ふと勝ったゲームを「相手がわざと捨てたのでは」と思い返して「何故あんなところであんな手をしたのか」ということを振り返るわけです。

 バイソンをしているのもその影響もあって。なんだか、チャンピオンになっても優り勝ったというより「負けてもらった」のではという迷いが発生していたんですけど、勝ったのは俺だし、真剣にやったことがあるならピリピリと張りつめた緊張に耐えられず「楽になりたい」と思って甘い手を出すことはあるんです。どんなに相手が負け惜しみで「負けてやった」みたいなことを言ったとしても、勝ったのは俺だし、相手とてその緊張や勝って目立つことをどこかで避けて勝ちを譲っているわけで、負け惜しみを言うくらいなら勝てばいいわけで、俺の勝ち。

 でも、それくらいのペラペラのバリアでも「わざと負けてやったんだよ」というと「へーそうなんだ」と素直にだまされてしまう人というのも世の中にはいるんです。

 まあ、子供で強い子でも、手加減は覚えますから、どっちの勝負かって勝った方を勝ったにしないと分からないんです。負けてやっているつもりでも、相手も先に取らせて逆転のゲームメイクを狙っていたら、ド下手のズブズブに見える。けど、最後はしっかり取るとか。だから最近は、もう手加減とか無しでやっています。手加減することで相手も手加減してゲームを余興にしたくないみたいな思いがあるから。目一杯です。

 遊戯王DSも久しぶりに遊びました。いつしか遊ばなくなったけど枕元に置いてあって、まだフルコンプではないのでやりこみの余地はあり、ブルーアイズホワイトドラゴンも手にしたし終盤のカードセットにはどこか興ざめしているものの、ちょっとデュエルしてデッキを眺めてポイントを貯めました。

 寝たら母親からのメールで目が覚めました。「ねむい」と打ち返してもういちど寝て、少ししたら本当に目が覚めて、ごはんに行く約束を日付とかは無しに承諾しました。

 ギターの練習時間を増やすことにしました。というか、ちょっとやろうと思ったら自然に今までより長く、またギターだけではなくシンセサイザの自動演奏と絡めてやっています。

 「わざと負けた」の中には「そこまで頑張れない」は含まれるのでしょうか?ゲーム単位で線を引いて、その勝負はわざと負けたとして、何か逆転があるとするとそれがわざとだった、という意味で俺は18歳でいちど高卒になりました。そこで、ゲームセンターに誘っていた同級生は大学に行って「まだゲームやってんのか高卒がぁ!」と上から絡んできました。

 それが、専門学校に行ってその時は探りを入れて、就職するとまた絡もうとしてくるし、辞めたら疎遠になるし、そのあとコンピュータ将棋の大会で結果と言っても1勝11敗2分けとかなんですが、そんなんでもまたすり寄ってくるわけです。俺も寂しい弱い人間なので、そこで許してしまうのですが、友達って何だろうと45歳になってもサッパリ分からない。いや、分かる。あいつら同級生だけど、友達とはちょっと違うんちゃうかと。

 ゲームやった仲間で、ケンカも色々して、真剣にやってるがゆえに序列が出来て、いちどは上に立ったけど、衰えて弱ってもそのことに一緒に真摯に向き合って、そのなかで感じる異性からはホモとも思われるような情感が俺にとっての友情パワーで。

 けど、世の中では利害って結構大事な要素なので、同級生で学業をした同士が利害で近寄ったり離れたりする現金な人間関係というのも許容して上手く乗りこなさないと、そこで所属意識だけで自分の仕事をせず甘えてしまってはまた切られるわけで。

 ギターをやるならギターをやるで向上心や興味を持つと、技芸を磨くライバルと思える人はいくらでもいるわけで。そこで先輩に甘えて後輩に任せて同期をライバルとせず弱って負けているようでは、まあ人が離れていくのもそりゃそうだわなってなるから。

 キャラ立てで人がしている事の避け合いではなく、ガシッと同キャラで正面衝突して意地を張るような古い男らしさ的な価値観で、押す力が備わってないと、押し引きのタイミングだけで力が無いと引く一方になるわけで。

 それ、一軸で見ると押し引きなんだけど、領土問題とか国境紛争はそれと全く同じ原理で動いていると思うのよね。だから、ホームワークは国語にすると宿題だけど、家で自分でやりましょうってことで、友達を作る場で誰かと交流したら、あとはひとりの時間を何に使ってどんだけ頑張ったかは出てくると思う。

 そうするとギター以外にもゲームもしてるしテレビも見てるし、その享楽的な楽しさが頑張って結果を出す、それが自分の結果ではなく誰かの結果だけどテレビで見せてもらえたりしているわけで。

 受け手になることにもメリットはあって、そこを顧みずにクリエイターになりたいみたいのって違うのかなって、経済的な損得勘定に負けてしまいそうになる45歳です。

(まだ眠いからちょっとハイテンションと非論理が文章にも出てるかもだけどあしからず)


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