ダルシムだけは取られたくない

 昨晩はちょっと公序良俗に反する表現を記事に含めてしまったが、書いた後にカプエス2を2回プレイした。

 1回目はAユリテリーベガ。ゴッドルガールに負けてコンティニューした後にもういちど負けそこで負けたまま辞めた。夜中で音が近所まで良く響き、木霊なのか妄想なのか魚屋の主人が「ベガで勝ったら敵が勝ったって事よ」「負けておく方が上手」などと言って説得して負かす作戦に屈するかと思ったが、逆らうだけの精神力が無かった。

 そこでもう一度考える。ダルシムだ。俺は少なくともストIIダルシムを操っていた中学生時代は自分が最強か、負けてもそれをバネにもっと強くなれると考えていた。もちろん、そんなものは幼稚な考え方である。だが、キャラ相性が割り出され強いものが勝つ。それなら当然である。しかし、強いものが割り出され、弱いほうが勝つということは論理的には腕の差があるか、故意に強いほうが負けを打っていると考えられるだろう。強弱を大小で比較すると弱いものが勝つ道理はないが、確率ゲームであるとすると何度も読み勝って万に一つ勝つかもしれない。そこがサイコロ賭博の入り口なのだ。

 ならば商売、弱い方を持って何らか勝つに至る論理を構築して、どちらが強いかまだ知らぬものを騙して100円玉を取り上げる。これ以外にストIIをカネにする方法は無いのではないか。弱い方が勝つことを不思議に思って攻略本など買ってしまえば創作でいくらでも騙せてしまうのではないか。論理を学ぶ前に難しい感じで嘘を書けば、漢字の勉強をして賢くなったと錯覚するうちに間違った論理を飲んでしまったりするものだ。

 そんなわけで、ユリ・ダルシム・ガイルである。

 どんなわけだ?ユリが強いか弱いかを測る前にAベガが入っていると「それだけでも勝てるだろう、ユリは遊びだろう」と考えてしまいがちである。

 48キャラ中の強い数キャラでの勝負を既に多くの人は見飽きている。もちろん、それでも日々何らかの発見や戦略性の変化はあり、トップ対決をずっと見ている方には面白さがあるのかもしれないが、普段出てこないキャラが出てくる方が目立つ素人受けの趣はあるだろう。

 そしてそれこそがダルシム、ドノヴァン、ダックキングなどのDランクの弱キャラ使いとしての俺の立ち位置であったろう。ゲームには負け役がいる。だが、ただ負けるだけで騙せる相手がどれほどいるだろう。ハンデを付けて、その中で真剣にやる。そのハンデが明確ではなく、最初に隠されて決するまで明かされないなら、つまりはあみだくじである。

 ただのくじ引きに迷路の要素が絡むことで、進路を考える頭が働きそれが論理的にはただのくじ引きであっても考えて引くことでワークメモリからくじ引きであることを追い出して忘れさせてゲームをしたという感覚が残り勝った負けたの成否の感覚になってしまうのだ。

 その中で引いたくじのダルシムが当たりだったことが俺のストII体験で、同じ絵でハズレのターボダルシム国技館デビューをさせられることで、自意識が勝ち組から負け組に変容していったのだと思う。ただし、広い世の中の多くの人の中で負け役でも大スクリーンに抜かれたことで、自分でもダルシムと言う負け役なら国技館で大スクリーンで伊集院光の実況の元で戦うことが出来た。そういう歪な成功体験があったろう。

 そこまで分かれば、伸るか反るかだ。心理的には負け役を自分の役柄だと思い込ませて有利な方を取るのだろう。商品の値引きのようで、負けないと遊んでもらえない。しかし損が出るようでは商売にならない。負けても儲かる仕組みを作れるか、多くのものはそれを先から考えていて、台を置いて100円で遊ぶようにしてあるのだ。

 負け役でも役がある方が嬉しいというのは全くもって金持ちのボンというか商店の若旦那の劣等感から来る心理であろう。お金はあって払えば負け役がもらえるのだ。

 それなら、不参加を決め込むことだって意固地なようで論理的で損得で言うと損得無しなのだ。そこに対して、弱いダルシムの役を俺から取り上げて代わりのダルシムを画面に出して見せることが視聴者に変わった俺に対するせめてもの挑発だろう。

 皆の記憶からもやがては自分もいなくなる。不参加を決め込むということはそういうことだ。それを寂しいとか悔しいと思わせて参加料をひとり余分に取る。お笑い芸人は笑いものでも役があって、そしてギャラが貰えるから出来るもの、少なくて割に合わなくても人気が出れば大きく当たる夢があるのだろう。

 その意味では、多くの人にとってダルシムダルシムであって俺のアバターではない。だから、ダルシムを見て俺を思ってくれる友人とだけ仲良く遊べば良かったのだろうが、年とともに皆お金の勝ち負けには敏感になるほど貧しくなり、せめて魚屋の爺さんくらいは夜中に音でゲームを一緒に楽しんでいるわけで、そこにダルシムヨガファイヤーが届いて喜んでくれたら、ゲームをした意味もあったのかもしれない。

 店に焼いた魚を並べて「どれがおいしいですか?」と聞くといちばん小さい魚を指さす。俺は正直魚の味は分かるほど食べ比べたわけではないが、味を聞いたら量を少ないものを指差すのだ。量を聞いたらグラムばかりか目視で嘘はつかないかも知れない。しかしまあ、見た目に大きくても骨が多くて食べにくく身の少ない魚だってあるだろう。

 それでもこの町で70年とか80年とか魚屋で商売をされているのだ。駄菓子屋の婆さんよりかは習う事の多そうな相手だなと思ってゲームの音を聞いてもらっている。


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