ツイッターの利用制限がかかって作品と向き合うことを思い出した

 昨晩にツイッターの利用制限がかかり、無限に時間を吸われる趣味がひとつ減った。

 まあ今後復旧するかもだが、ひとことつぶやくツイッターなるものに何故にそんなにどっぷりになるのかというところはニコニコ動画がかつてそうであったらしいがクリエイターのひよっこの発表の場として機能していて、マンガ練習してたりプログラム組んで見たり楽器弾いてみたりを各々が発表すると同好の士がわっと集まって、それでプロのその分野の上手の人が直々にお返事やお手本を示してくれたりする。これが同じ趣味を持つ者にとって面白くないわけがない。

 だが、ついていけない人にしてみると、なんかわけの分からんことで盛り上がってて不愉快だったかもしれない。3日ほど連続で炎上案件といっても5万リツイートくらいの規模だからツイッターの利用総数からすると大したことでは無いかもだが、趣味のコミュニティというか観測上2000人くらいがみんなちょっとずつ友達みたいな輪で部外者を巻き込んで5万人炎上ってけっこう大変なことだった。

 それはイーロンマスクの采配なのか、ほぼ全ての利用者に閲覧制限がかかって消火された。パニックも起ったが、パソコンの再起動やネットワークのリセットなどをしてみて、ヤフーの広報でツイッター燃えましたってニュースを読んだ。

 ほんのひとこと歌でいうってのはとてもお洒落だけど、できないことだってあるだろうし、歌のおまけの伴奏が繰り返して聴く人に音楽として深くしみ込んでいることもあって、そのために日夜練習に励んでいるのがネットでいきなり会合したわけだ。

 しばらく呆然としてから、捗り出した作曲作業をやめてスピッツの「魔法のコトバ」をYouTubeでじっくり聞いた。作者同士の輪があって通信で遊ぶのはめちゃめちゃ面白いけど、通信の時間が限られているがゆえにその数分数秒に思いを込めるために創作はあるかもしれない。

 


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