スライムつむりはようすをみている

 客観って粗雑だと思うんですよね。人には主観があって、主観を語る中に共感があるんです。だけど客観って他人の五感に自分がどう映っているかの想像であるわけで、そんなもので他人の主観を征服することは出来ないと思うんです。

 俺は森博嗣の小説のファンだったことがあって、特に20代は代表作「すべてがFになる」の犀川助教授にめちゃ憧れて、美容室で髪を決めてスーツで出社している自分をカッコいいと思っていました。

 まあ、職場の人間からすると寝ているかぼーっとしていて、上司を恐れていて、まあまあ言う事を聞くのは「こういうプログラムが欲しい、コンピュータにこういうことをさせたい」という注文が注文の範囲で無理がない時で、注文が無理な時には唸って考えてポンコツを作って「そうじゃないんだよなぁ」と思われていたんです。ロボットです。

 そんなロボットも通勤電車で本を読み、犀川助教授とは何者なのかというと、大学の助教授であるという設定があって、設定以外の描写は小説だから犀川の探偵としての思考が語られるわけです。そして犀川から見た周囲の人物が描かれるわけです。だから犀川に関してはある程度読者の自由があるわけで、それを最大限サポートするように「頭が良い」ことへの描写があるわけです。大学でいちばん偉いのは学長か教授ですが、それはエッヘン役で補佐している助教授、今でいうと准教授なわけですが、そこがしっかりしているから大学というインテリの組織の研究という内実を担っているということで、遠回しに一番頭が良いことになっている。そして同期の喜多先生のほうがモテるという設定なのですが、そのモテさせている女学生などに対する描写は少なく、ワトソン役といいますかアーサーコナンドイルの小説シャーロックホームズは軍医ワトソンから見たホームズでオッサンくさい話なのですが、女子大生の西之園萌絵ちゃんからみたキラキラした犀川先生なわけです。

 まあでも小説は歳をとってもそのままで、作中人物が歳をとることは多分無いまま、俺自身が45歳になった時というかなる過程で冷めて行ったんですよね。

 自分が老けると若い女性からキラキラした目で見られることも無くなり、それでも壮年で魅力的な男性というのはいて、30代からギターを覚えたりしたのですが、そもそも美人の女性で男性にモテるのは演技力のある女性なので、こちらが初老でも若い男性と遊んでいるように上手く芝居で騙してもらえたらとかいう自堕落な願望を抱いています。

 カッコよくなろうとか、尊敬されたいとかより、まあ楽しくなくてもタバコがあればそれでそこそこ暇は潰せるし、夜さびしかったら酒飲んで寝るだけです。

 なんとかしなきゃこのまま人生が終わるのはマズいという気持ちはあるのですが。

 


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