時には人生を

 先週末に虫歯の治療で入れてもらった詰め物が取れ、しばらくそのままにしていたら食べ物はつまりコーヒーやチョコレートが染み、辛いなぁと思うと死んでしまいたくなるくらいであったが、月曜日のあさイチで歯医者さんに行き処置をしてもらうと何事も無くなり、何事も無くなると不意に人生が退屈に思えてくる勝手な生き物なのだ。

 それは「歯が痛い、治してもらった、暇やぁ」なのであるが、もうちょっと高尚に

「時には人生をつまらなく思うけれどそれでも僕たちは今日も生きていく」

 という歌にまとめて音程まで付けてケータイのボイスレコーダーに吹き込み、楽譜もパソコンで書いたのである。

 ミのフラットとソのシャープがあるからこれ多分ハ長調では無いと思うんだけど、まあ良く分からないからハ長調のまま書いた。鼻歌を譜面に起こせるようになったのが進歩である。

 調子は「さだまさし」さんの歌の中にこっそりこの歌を足して混ぜてもほとんどの人は気づかないのではないかと思うような歌である。そういう気分。

 もっとこう、激しいロック調の書きたいなぁと思うんだけど、そんなに激しくない。

 だからまあ、退屈を退屈しのぎするのではなく退屈のまま味わう歌になったと思う。

追記:

 ロックが書けないってそりゃ最近聞いていないからではないかとGLAYFreeze My Loveを採譜してみたんだけど、この曲はサビではなくAメロの方がメロディアスに進行していて、その昔にLUNASEAのコピーバンドやっている友達と言っても仲違いで全然それっきりだけど「ミヤザワ君のやりたいのってメロコアやんなぁ」と言われ、その仲間内ではバンド単位ではなく楽曲単位で音楽性の議論があった。

 「なんでLUNASEAなん?」というのに「なんとなくカッコいい」というのと「バンギャと仲良くなりたい」みたいのがあって、それで「ROSIERとかTRUBLUEが好きな普通の人というのなら分かるけどSUGIZOのバイオリンがカッコいとかいうやつお前が初めてだ!」ということで心斎橋からチョット外れて千日前の近くのライブハウスでバイオリンを入れたEDENをイメージしたライブが行われて、俺はお客さんで入るつもりだったが「タダでええから」と通してもらったら、それがバンギャの罠で初歩的なやつっで「店の人があげるって言ってるから」と言って万引きさせるのと同じでバンドの友達でタダで入れるからって入場料を払わずに入らせて後から店の人にチクるという罠に見事にハマったことがまあ、シンプルにバンドと仲良くするにはカネは払うべきでバンギャと仲良くしてるやつに用は無いという仲違いの理由なのだが。やっちまったことはやっちまったことだ。

 だからまあ、あのへんのライブハウスにまた行き辛いってのはあんだけど、あの後からバンドとも連絡とってないし、解散ムードだったし、バンギャ達の感想としてはクラブで音楽がガヤガヤかかっていたらそれがPerfume氷川きよしであっても割と何でも良く、あのころのV系はビジュアル系の名前通りファッション性でファンなのであって、その頃に共通項であった音楽性で好きなわけでは特にないってのが結論。

 俺自身の感性も若い頃にカネがなくV系を友達つながりでカセットのダビングで回してウォークマンでひたすら聴いていて好みが出来たので、広く音楽を語る上でまずモーツァルトとか歴史があって皆が良いとするものを聴いて、比較の軸を作らないと自分の世界に籠っては独善であるって話から色々聞くようになったけど、それでもういちど初期のGLAYなんかを聴くと十代を思い出しはするけど、光GENJIの「ガラスの十代」なんかでも小学校時代は思い出すわけで、好きって思いこんでる自意識との対話も兼ねて、またFreeze My Loveを聴きなおしたいなぁ、と思うんだけどYouTubeでいつでもmp4くらいの音源で聴けるわけでCDを買いなおすほどそうしたいわけでもないという中途半端さだから。

 なんだったんだろうな、あの頃。でも間違いないのはLUNASEA,GLAY,ラルクまではいいけどIZAMとシャ乱Qは一緒にして欲しくなかった。その気持ちも30年も経つと思い出すのも難しいんだけど「そうだったなぁ」ということだけは覚えている。


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