自分で開発をするとどこを終わりにするか悩む話

 SES派遣として会社を渡り歩く以前はユニオンシステムの開発部にいて、それから主に富士通系列のソフト部門、外資というか米コンピュータ老舗系、そんで家電メーカー系の日本企業で組み込み、退職前に念願のゲーム会社と経験してそれからニートを5年くらい続ける間に自宅に自分で組み上げたシステムが将棋、麻雀、シューティング、RPGもやったけど紛失(シューティングもマシントラブルを経て2システム目)などのゲーム開発環境が並行していて、そこに絵は適当で音楽をやって、その音楽がブログのアフィと両立してクリエイター奨励金を5月2日に42円ほぼ確定したんだけど。

 ブログのアフィはグーグル社との契約で守秘だけど、ゲームは累計2万5000ダウンロードくらいで、ユーチューブの「ファミリーベーシックグラディウス作ってみた」動画がおかげさまで2万1000PVとまあ、数字的に似たり寄ったり。けどフリーウェア寄付歓迎として、ご寄付をいただいたのがダウンロードの1%にも満たないので、その販売利益というか寄付収益というか、それもお察しなんだけど、もしこれが企業会計だとソフトウェアでも1円でも利益を生むのなら資本として計上できるので、頑張って会計を勉強して会社を起こせば貯金を資本金にしてソフトを資本にして社長の給料を自分で自分に払ってもしかしたら魔法のようにカネを増やせないかとか、どっかにそういうカラクリ無いのかなと思ってんだけど、今んとこ売上以外にカネを増やす方法はなく、融資を受けたら借金が出来て返さにゃいかんとおもんだけど、もし株式発行してって、俺がもともと勤めてたフリーライフは有限会社でエルアンドエイチ社にいた頃はその魔法が成立していたけど、多分破綻したんだろうなと思うわけで、お金のことを人任せにしてきた人生でした。

 そんで手帳に図を書いたんだけど、開発をいつ終わりにするかというのは個人ならあきらめたときなんだけど、大企業の開発部って常に開発を続けて万年アルファで、企画を契機に品質部門に開発アルファを渡して、そこでベータとガンマ(マスター)までデバッグや品質管理が進んで、それから生産販売だと思うんですよ。

 だから自宅に開発環境が出来て新しいゲームの種をいくら作っても、花が咲いて実がならないとメシにはならないというか、そろそろ開発を良いところで辞めて企画を打って品質管理をして、そこまでは出来ても生産販売はそれはそれで何本作って何本売れるかまたバクチというところで、趣味開発でとどめてまたサラリーマン出来る会社に戻れないかなとかも思うんだけど、それは結局俺には開発スキルしか無いからなのよね。

 趣味開発の上に趣味音楽もやっているので「クソゲーだけど音楽は良いゲーム」ならどうかなとか思うんだけど、音楽の良いゲームって基本的にプレイにストレスが少なくて環境的に聴き慣れた音楽がゲームのスペックアップによる陳腐化の後に音楽だけだ才評価されるってステップだと思うので、今から時代遅れのゲームに同じクオリティの音楽が付けれたとして、多分ダメだとは思ってる。

 配信できるわけだから、音楽がそれで良ければ音楽で売り上げが出るだろうって。

 そんなわけでCASIO SK-1の英語マニュアルを読み直して、何をしていたかと言うとmini mooogみたいな憧れのシンセサイザを買おうかなと思って、そのお金は何処から出すとなると貯金を崩してということになるから、これは会社を起こそうと思って貯めた資本金か、もしくは自宅のリフォームとかありえないかもだけど結婚して子供出来たらとかのためのカネだったのではないかと自分に問うて、それで新しいシンセが欲しいのは我慢できる範囲なので、持ってるシンセに知らない機能とかあるんちゃうかみたいなところがひとつ。

 同じ理屈でアコースティックギターとかエレキベースつまるところ簡単に言ってギタリストが良くハマる新しいギターも検討したけど、Aペンタのソロの基本フォームとかリズムギターのストラミングパターンとかを自分なりにやり直して、ギターも今のままので行くと。

 あとはレトロゲームのカセットも欲しいのあるけどそれも辛抱。

 結局のところ、好きなことして生きて行くって好きなことを仕事にするより我慢できる仕事をして好きなことをゲームを遊ぶとか音楽を聴くとかエンタメ消費の範囲で享楽して、それで欲しいものをポンポン買うカネがあるほうが幸福度もしかしたら高いのじゃないかなって、こればっかりは退職して仕事の辛さを忘れているだけと思いたい。

 まあ、今日は欲しいものをいかに我慢するかという悩みと、もう趣味や仕事より物欲の方が勝りそうになるくらい、好きなことと言っても飽きは来ることあるよって話。


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