今日はオタク論についての勉強に充てた

ウェブのネタ的には消費しつくされた感のある岡田斗司夫東浩紀の2000年から2010年あたりの人文的ポストモダンからオタク論の本を物色してみた。

それ以前に、俺は中学から多くのオタクに目をつけられていた。普通は隠すものであるオタク趣味のひとつであるテレビゲームを好むことを公言していて、そして当時のファミコンスーファミはビデオデッキ類やカメラにパソコンなどのオタク機器の中では安いものであり、しかし消費するためには攻略が必要で、ゲームが上手くならないと先の面まで消費できない。

いったいどうやって攻略しているのかということで、俺の持っている攻略本と同じものを求めるものがいたり、色々の類似ソフトに飽きているはずの俺が求めるゲームこそ真に面白いゲームであるという誤解から、俺が何となく買うものが流行って地域の中古ショップの在庫がなくなり買取価格が高騰して、そういうものを持っているさまを部屋に遊びに来た人間が「高価なプレミアソフトを多数所有する趣味がある」みたいに誤解された。順序が違う。俺が買ったものが高くなってしまったのだ。

また、長年苛まれた事のひとつに小学校の時にゲームが解けない時に攻略本を求めるのと違って、解けるゲームでもファンブック的にイラストや設定資料を買うオタク的消費が理解されず、同級生から「お前はいっつも攻略本やな」と非難され、それはたったの一度の出来事だったが心に深く刻まれ、どこかで攻略本を読まずに解こうとした時期があり、しかし市販されるゲームの中には攻略本とセットでないと到底クリアできない謎が仕掛けられているものもあり、中学から「何故本を買わないのか」と疑われたり、また本を買って先に進んだものからそれを隠して「あんなゲーム楽勝なのに解けないのか」などとマウントされたりもした。

冷静に考えると、相手が本を買っていてもおかしくはない、正直にそれを告げるのではなく隠しているのだと考えると心は幾分か楽になる。反対に俺に対してそういう嫌疑をかけることで楽な気持ちになっている人間に同じ苦労を背負わせて攻撃したいという欲求が対戦型の格闘ゲームを戦場にした理由のひとつでもあっただろう。

そうして、今買うべきは実はプレステのデビルサマナーソウルハッカーズの攻略本ではないかとアマゾンを見たら古本で80円であったわけだが、買うのを躊躇った。実質的に迷路の地図と金子一馬の画集である。アトラスは後にマップを自分で書く「世界樹の迷宮」シリーズをリリースするが、それは俺が就活の時にアトラスに送ったエントリーシートの「あなたの好きなゲーム」の欄に小さい字で目一杯書いた「ウィザードリィ」の特徴を全て備えている。

まあ「パクりやがって」とガソリンを撒いて燃やすには根拠的にウィズの好きな人などパソコンオタクにいくらでもいるだろうし「ウィザードリィのすべて」を執筆したベニー松山は後にスタジオベントスタッフとして格闘ゲームの攻略本で名前を売って今では大手大作RPGの攻略本を手がけるようになっている。ゲーム攻略のマニュアル化である。

そういうオタク知識全般から最初に書いたように岡田斗司夫東浩紀によって語られることに対する不快感を感じていて、メタゲーム的な優越感競争なのだ。自分より少し上の世代から、同じ年に似たような趣味傾向だったものから、その発達過程を上から見てからかわれているのだ。

ファイナルファンタジーを遊んで天野喜孝の画集を買った俺がペルソナにはまって金子一馬の画集を買ったひと回り下の若ヲタを見てなるほどなと思うように、俺達も年配のヲタや研究者から見たら「なるほどな」なのだろう。

オタ的消費を繰り返したオタの能力は二次創作の同人誌を作って売るという回収の他に、勉強なども頑張って定職を得てネットに消費のみを晒し、若ヲタがその経済格差に唖然とするような話も聞いた。

対して、今俺はお金のかからないオタ生活のモデルを考えていて、普通に漫画週刊誌をひとつ決めて毎週取れば、自然にその中からマンガからアニメやゲームに購買層がランクアップしていって、漫画本を集める我慢の期間を通り過ぎてみれば、原作をリアルタイムに読んだオタになれると思っている。

今を楽しめばやがて蓄積された過去となる。そこに昔語りを持ち出してマウントする年上のオタクに対抗するためにプレミア物を買わされたり、大事にしているものを手放してしまう勿体なさみたいのがどうしてもな。

俺は俺で自分のオタク趣味を何らかの形で換金できないかとか、オタク趣味以外の強みを持たないとこの先は決まった所得の中で細々としたオタ的消費に甘んじるしか無いとか、そういうことは悩んでんだ。

ただまあ、そんな事はDSに電源を入れてトルネコの大冒険3アドバンスでスライムを5匹ほどやっつけてレベルアップのファンファーレを聴いて回って飛ぶトルネコを見れば忘れられるのだが。一日中それをやるほどはハマらないし、しかし飽きたり疲れたりして放ってもまた日をあらためたら潜る気になる。今朝は起きた時昨日と何も変わっていないような錯覚に陥った。

読んでいるのは毎日ぶ厚めの何種類かの同じ本。小さく薄い本を読み進めるほうがモチベーションが保ちやすいのだが、分厚い本のほうが内容量と金額で見た時に割得なので毎日少しづつ分厚い本を読み進めるのだ。遊ぶゲームにトルネコの大冒険3を選んでみるのも似たような理屈だ。

ただこの生活の出口を何にするか。今は自己投資と蓄積しかすることが見つからない。勉強らしい勉強のほうが自己投資の感覚は強いが、オタ消費のなかで少しづつ貯めたオタ知識が俺の心理そのものだと思うので、そこを深めて壁を破ることが出来る日が来るのを俺は望んでいる。

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