もういちど人生やり直そう

机の脇に積読してあった「アクロイド殺し」を読みすすめている。

まわりくどい文章で以前は苦痛に感じたものが、なんとも冷笑的でユーモラスに感じて読めるようになってきた。面白いと思って数ページ読んで閉じる。小説の舞台設定がイギリスなのに没入の難しさがあったが、なんとなく今住んでいる大和郡山市でスーパーやコンビニとショピングモールなどが乱立して競争しているさまがキングスアボットの「よろず屋」に思える。大都会から少し離れたどこにでもある田舎町、壮健な若い男は村を去り退役将校などの老人と若い女が村人でその楽しみは噂話であることなど。

まとまって読みやすいコナンドイルの短編集と比べてアガサは強敵である。WindowsXpの発売の2001年ごろ、製薬会社の営業が使うノートパソコンの納入を国産大手と米国資本大手が競っている時に俺は引き抜きで米国資本のほうについて旧式のコンピュータから個人情報を引き抜いて新しいマシンに移入するアップデータのプログラマとして働いていた。今思うとNTからアドレス帳などをファイルにして保存して、新しいパソコンに入れる手順書のようなものを作り、それを各従業員に配って自分でしてもらうことを想定していたようだが、俺は事業所にひとりで転勤したのでひとりで千台アップデートはプログラムを書いてLANで自動化するしか無いと2ヶ月の納期で「なんて無茶な案件なんだ、これが米国資本のやり方か!」と思って缶詰で仕事をしていた。

その時に息抜きにデスクにコナンドイルの短編集を置き、忙しそうだからと事務員のおばちゃんとプログラマのおっさんをひとり足してもらった。そうしたらその事務員のおばちゃんが「シャーロック・ホームズ読んではるんですね!私小学校の時読みました!アガサクリスティのほうが面白いと思います!」と若い女子のように高い声でキャピキャピ話すのだ。

後になって翻訳すると「バーカ、バーカ!」と言いたかっただけなのだろうなと分かるのだが、まあどのくらい理解しているかチェックしないと分からないが俺より先から入社していて事務員としてのキャリアもあり、まあ簡単に言って俺よりひと回り上の世代ではいちばんもてはやされたキャリアウーマンそれそのものなわけで、多分子供の時にアガサを理解する才女で俺はキチガイ博士くんだったのだろうなと振り返るのだ。時代が違うから事務員に甘んじていたけど、もっと役職が付いていたらそういう仕事もできる人なのかも知れないよな。

話を戻すとコナンドイルとアガサクリスティでは時代が50年ほど後になる。古典の名著を読むことは選書の方法として一般則だが、知の高速道路インターネットを使うとその本の書かれた時代背景などを本そのものの文章から読み取るのではなく外郭的に収集できる。情報が集まるのも速くなったが、誰しもが同じ情報にアクセスできる分だけ情報収集にマメな者同士でネットで集まる情報は差別化情報ではなく基本情報に陳腐化する。

何かを一元的に比較して大きい方を取るために多角的な情報収集が必要になるというのは数学的には微分を繰り返すようなもの。多角的な情報それそのものの価値を認めてこその情報科学だろう。

まあ、今の時代にブックオフで100円の本を積読して秒速4バイトほどでインプットするのにどんな情報価値があるのかと考えると、まあ仕事も趣味もやりたいだけやったから暇つぶしとしての読書でしか無いのだが。最近書くほうがラクで読むほうがしんどい。

「物書きは書かない人より偉い」みたいな13バイトの自尊心が俺のエンジンだとすると、もういちど人生設計から考え直したほうが良いのかもなと思うのであった。村上春樹が出版で儲けた額とワープロで家電メーカが儲けた額どちらが大きいかとか、考えるんだよな。


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