今日のトルネコ3アドバンス(異世界16階でシボンヌ)

スキマ時間で階段中断を利用してチビチビ遊んでいるトルネコの大冒険

しかし長時間進めると面倒になって投げやりな選択をしてしまう。

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そして死んでから後悔する。やはり集中力の持つ範囲で少しづつ進めなくては。

生物の勉強を少しづつ進めているのだが、自然界を学ぶ意味での生物つまり生態と解剖学的な生物で圧倒的に後者よりに尖っていて、田舎暮らしとか絶対無理と思っているのだが、人はもともと自然の中で生きていて、狩猟社会に比べたら生存は楽になっていて現代人は暇人だというのが持論なのだが、反対に高度化した社会で食料ひとつとってもスーパーで算数ができないと買ってこられないし、臭覚とかではなく店のどこに何が売っているかとか全部後天的な知識で処理して生きているわけだから、実は人並みの暮らしをするだけでも後天的な猛勉強をしているのだよな、人間は。学校の勉強とそれがチョットずれているのが近年生活科で補完される。

そう考えたらいくら賢くても「コンピュータの天才」みたいな発想はおかしくて、遺伝とか先天性でコンピュータのことを知っているというのは有り得なく、適性はあっても後天的に論理回路やプログラム言語とかキーボードを打つ指使いとかメタ知識的な既存ソフトの使い方など苦と思わずに出来ているのは才能もあるかもだが、皆コンピュータを使いこなす人は秀才性があるのだろう。使い方の差で得られる結果が級数的に伸びるので、使いこなせない人とアウトプットで信じられないほどの差が開くので、その差だけを考えると凡人と秀才の差がさらに開いて見えるけど、実はそこまで働かずに便利なもので累積的に良い結果を出しているという。

それらは草木の分類とかから始まる生物学とは程遠く、電気を扱う物理科学とも隔たりのある計算機科学という体系を成しているけど、そればっかりやってても生活に変化を与えるのは給料をもらうとかアマゾンでお買い物以外は座学で本を読んでいるのに近い部分もあり、青邨生殖を考えたら便利で面白いことにハマりすぎず離れて行動することも必要かなと最近思う。

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