「非論理的な感情論です」という決め台詞が心の病の社会を生んだ

俺は高校三年の時に志望大学に落ちてるんですよ。自分の行きたいところではなく親と先生で成績から決めた大学だった。ただひとつ俺の意見が尊重されたのは東京都内にあること。受かったら下宿が条件で自宅から通える滑り止めは考えていなかった。絶対に受かって東京で自由な暮らしができると思っていた。家の人間関係や田舎の公立に進んだ同級生たちとはもう人間関係が破綻していた。

しかし俺は落ちてしまった。そして浪人したいと言うと親から殴られた。そうしている俺は通っていたゲーセンでバイトすることにした。お爺さんの店番は年金を補ってタバコを買うためにゲーセンの店番という楽な仕事に就いており、そこに客として遊びに来てお金を入れている若者が来るのはどういう意味を持つか。バイトの面接に行ったら会うのは経営者で俺のことなど知らず、俺が店員になったら客がいなくなることは他の関係者は分かっていた。ただ、当時の俺と面接官は分かっていなかったのだ。俺は入れたカネを返してもらう格好で店が潰れるまで勤めた。時給は850円程度だった。それでも月給にすると10万円以上あり、親に買ってもらえなかった「どうせつまらないゲーム」を買ってそれで街の中古ゲームショップが繁盛した。

俺はゲームやテレビを自室に置き、貯金を崩して部屋に引きこもっていたが、そこで親が「アンタそんなことしてるんやったら行きたいって言ってたゲームの専門学校でも行きぃよ」と言ってくれた。しかし有名校の学費は300万円。入学案内でそれを知った俺は書店で学校案内のガイドブックを買ってきて、家から近くて学費の安い学校を選んだ。

そうして部屋にパソコンを持った俺は高校の頃から溜めていたフラストレーションをウェブ日記という形でぶつけた。最初は友達に「書いたから読んで」とメールを送り、HTTPで読んでもらうという回りくどい伝聞をしていた。ネットの性質は機械的な面では分かっていたけど、中高から私学のおぼっちゃまくんには読んだ人が何を思うか想像の及ばないところがあった。ある人には同情を買えたように思うが、それは同情を買って見せることでお金持ちの家の子の懐に入り込んで偵察したり何かを盗むためだったかも知れない。そして理系志望だったけど国語の成績がよく、いまほどブログの執筆者がいない技術文書中心のウェブコニュニティや汚い言葉やスラングで罵り合う匿名掲示板以外にネットで分筆するというのは新しく、単純に言って嫉妬を買ったのだろうと今では思うが「全く論理性のない感情論ばかりです!」と噛みつかれてしまって、ひどく心を痛めたんです。

それから学校で国家試験に通って、あとは卒業制作と出席を残すのみと思ってから、またバイト時代のゲーセン仲間とゲーセンのゲームに明け暮れる日が続いたんです。そうしている間にバイトの貯金が底をつき、親のカネを無心したりもしました。

その間に俺は1冊の本と出会いました。太宰治人間失格です。読むと病気になるとか、シンパが自殺すると言われつつも文庫100選に選ばれる人気の小説です。本の内容や、理想都市つくばでの自殺の話など、人にとって論理的で建設的な前向きの考えが発展性を持つことを否定はしませんが、情けない男の生きざまを見て抱く感情が救いになることも認めて欲しいです。

結局俺はその後も会社員として働きながら定時後にゲーセンでゲームをして、さらに家に帰ってからは誰とも仕事のこともゲームのことも話さずにネットに日記を書きました。そしてその日記の評判はいつも散々でした。その散々な評判に心を痛め、会社では上司からきつく当たられて、ゲーセンのゲームはバイト時代ほど時間的なやりこみ量が減って負けて辞めめました。

そうして、仕事の給料から貯めた貯金以上にプロゲーマーの年収が高いというネットニュースが届いた頃にはもう心が折れていました。どこから歯車が狂いだしたかというと、こういった感情を吐き出すことで取れていたバランスが、非論理的な感情論であると叩かれたのを真に受けて論理性を持たえんばならないと、専門卒で国家二種が有名大学卒を語るネットの架空の人物に袋叩きにされ続けることに抗い続けたことで破綻してしまったんです。

しかし、さらに勉強を進めると、軍国主義に思える右翼思想というのは人の心に寄り添ったもので、理想を掲げる左翼思想は理念のために現実を唯物論的に捉えようとしているんです。

論理性のない感情論という批判は、感情もまた生化学的反応であるという論理と矛盾します。ネットはもちろん言論の場であっても良いのですが、俺にとってはこのブログは俺の感情の捌け口であって良いと考えることにしました。それで幾分かは気持ちが楽になるんです。

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