力を抑える

子供の理屈は素直で正しいところがある。

カードゲームを確率で考えるとか、もっというとサイコロふたつの出目でも7が出やすいということを分からない人というのは必ずいる。だけどそれは決して頭が悪いから分からないという話に収まるものではなく、分からないかもしれないけど、神経が研ぎ澄まされていてカードのシャッフルやサイコロの描く物理的軌道が直感的に分かっていて、サイコロって投げたら回って地面について上の面が出目なわけだから、そこを確率で同様に確からしいと前提にすること自体がもしかしたら最初の過ちなのかもしれない。確率は物理に準ずるということ。

全然違う話になるけど、マジックザギャザリングを白青黒赤緑の5色のうち白青緑の3色しか使わないという縛りで近頃は楽しんでいる。自分の中に規律を作ってそれを守ること。自分で決めたルールなら守れる。警察や裁判所があるのは政治で決めたルールを守らない人を束縛するためで、では警察に見つからないならルールは守らなくていいのかという命題に俺は今も答えが出せていない。繰り返しになるが自分で決めたことなら守れる。あとは自分と社会とのすり合わせだと思う。過ぎた力が他者によって抑えられるなら、前もって過ぎないように抑えておくということ。自由と他者との意志干渉について恐らく自由という無形のものは力による抑圧からの解放を意味するので、力を持って他者を自在に掌握してしまうというのは自由というより支配といった方が正しいだろう。その線引きを自分で決められるだけの力が果たして自分にあるか。そういうことだと思う。

その意味で、物理の方が上位だとしても数学で考えてゲームを楽しむというのが趣味。もちろん絵柄や映像や音楽など付随するものを無意識的に楽しんでいて、振り返るとつまらないと思っていた数々のゲームも自分の心にはしっかりと血肉となって刻まれていて、何とも贅沢に楽しみながら覚えたことの数々が俺を形作るものになっているので、塾とか習い事などの目に見える教育費と違って、子供の頃親父が買ってくれた玩具や、趣味への投資無くして俺と全く同じ考えに至るということなど滅多にないだろう。

その中で豊かに育った方々のお金持ち友達と遊ぶのはポケモンカードゲームで有名人な友達「マサキ」からカードを2枚もらうということを続けている状態だと思う。そりゃ誰だってマサキと仲良くしたいだろう。けど俺んちの周りの人とうまくやることも考えていきたい。


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