アウトローの貧民層を格闘ゲームで治める

俺にとって格闘ゲームとは何であったかというとスポーツのようなもの。

スポーツはもともと遊びだが、有事に備え心身を鍛えるという意義はある。

まあ、それがレバガチャとボタンで良いのか、という点はさておき。

話が通じない人でもゲームを通じてルールを理解するのは意義がある。

ただ、すごく最初の方、地元にまだゲーセンがあった頃。やらかした。

ゲームのプログラムとコンパネで出来ることなら何でも良い派閥にいた俺は何でそんなにえげつないのか、それはゲームの中でどうしてそこまで打ち込めるかという問いに、子供の頃に親父に殴られて逆らえないしスポーツが弱くていじめられた背景などから「殴るよりはゲームで決着」という信念に基づいていた。ここで、既にスポーツは意義があると言いながらスポーツでいじめられたというひとつの矛盾を含みながら、当時はそこには気付けず進んだ。

「じゃあさ、殴らんかったら何やってもええんやな!?」と不良のリーダーが言った。

「エエで!」こう答えて、ゲームで勝ってから一目置く派と意地でも仕返し派に分かれた。

ものすごく最後の方の結末を先に書いておくと、俺はついに相手を喧嘩で殴ってしまった。

警察沙汰にもなったし、尋問を受けて長々と話すとおまわりさんの調書が何枚にもなり、行き先は精神病院であった。

では、その間に何があったかと言うと、確かに愚連隊の彼らは「殴らなかった」のだ。

ただし、酒を飲ませてゲームさせる、罵倒する、女の色気を使う、物を盗む、脅迫するなどとかく社会的と言うか法律的にヤバイことでも「殴らないなら何やっても良い」「エエで」という約束に関しては守っていたと言って差し障りない。

ここで論理学の集合とか、難しい話を持ち出すと難しくなるので「殴りは法律違反でしてはいけない、他にも法律は色々あって、殴りはしてはいけないことのひとつでしてはいけないし、いくらストリートファイターの台を挟んで勝つと言っても基本的に法律は守ってください」

こう言うべきだったかも知れない。

だけどどうしてゲーセンにたむろするアウトローは法律を守らないかと言うと、みんなが勉強して完全な法治が完成しても、全員司法試験合格者になったとして、司法試験合格者からごみ処理班を作らないといけなくなる、みたいな公務員制度の行き詰まりを日本は抱えていて、みんなが法律を守ったら理想の社会かと言うとそれで肩身は狭いし、働かなきゃいけないのも押し付け合いになるだけ、せめて不良は遊ばせて、知らないでも犯罪してしまってそれを捕えたら警察も手柄と仕事が与えられる。

そのためにゲームセンターのような集会とか娯楽とか、とかく繁華街のような社会の捌け口は理想社会を目指す過程で段階的に必要な時期はあるだろうと思う。

まあ、最近ゲーセン自体は減っているし、増えているのはサイバー犯罪。そろそろ格闘ゲームそれ自体に見出していた意義の大部分がそれに伴う社交性であって、ゲーム単独での研究になったのはゲーセンにたむろする人との会話をして疎通性が出来ると「ゲーセンなんて」という社会の別の界隈の人との噛みあわせが悪くなったからで、そのために自宅でゲームをして論理で研究していると、しまいに工事のおっちゃんらから「家で昼間っからゲームの音出してこちとらやってられっか!」とまあ、またマルクスあたりから論議の蒸し返しですかと。

ゲーム機の電源を切ってせめてテレビに戻すと総裁選で、いや俺から見てる政治はだいぶ論議が進んだなと思いましたよ。堂々巡りでも時間が過ぎるとそれは螺旋なのであって。

 

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