病識

ギターの練習は1日5分10分でも上手くなると教本で読んだが2分くらいしかしない日もある。

ちゃんと時計を見て、最低でも5分は何かに取り組むように昨日から計り出した。

結果は案外早く出て7フレからの早弾きの練習にコードチェンジに加えミスチルのinnocent worldの弾き語りをしてからイントロギターをキーボードで弾いてみてギターにコピーした。

それから夕食の段取りが変わって空腹と睡眠不足からか持病の陽性症状が来る。右耳にその昔にお寺で麻雀をした時の住職の声が命令のように聞こえてくるのだ。

今までに幾度となくGoogleで病気のことを見た。どこかのクリニックの患者の家族のための病気の説明で、どこを見ても同じようなことが描かれている。それは医書をネットで取り寄せて、そこに書かれている病気の研究結果と結局文言が同じで先進国から情報を取り寄せて同じお薬を対症療法で出しているに過ぎず、お医者さんといっても高校までは受験勉強をして医学部に通ってから臨床と理論を座学で学び、国家試験を通ってその職に就いている。昨今の情報化社会で試験という手続きが役職のルールとして残ってはいるが同じ情報にたどり着く。

ただ、声の正体を幻聴であり脳の異常であるとする西洋医学の立場に対し「坊主の念である」と考えて、一度はその念を送っている坊主の本体を探して止めるとか殺すということも考えたことはあるが、日本の仏教信仰を支えているのは教育水準が上がる前の時代のお年寄りであるし、現代では宗教より科学だろう。科学を盲信するわけではないが、薬物治療で改善というか体感に変化はあったわけだし、坊主を見つけて危害を加えると犯罪になる。そして恐らく病気の発症は不信心に対する人罰としての科学的な病理に基づく拷問のようなものだと考える。

幻聴以前に俺は右耳が難聴で、ヘッドホンでよく音楽を聴いてきた。病気になる前に会社で仕事が単調な時に物静けさの中でよく音楽を妄想した。音楽で紛らわすと幻聴はほぼ無くなる。

この音楽を聴いている時の快楽と、欠乏状態からの不安が無音の時の幻聴のトリガな気がする。そうと気付いた時からテレビ24時間つけっぱなしでこの3年ほどを過ごしてきたが、いい加減に時間の使い方がそれで良いのかと思い始め、テレビを消して本を読んだり音楽を聴いたりしてその合間に無音の時に症状が出た。

そこで再び音楽をヘッドホンで聴き、特に右耳に注力して聞いていた。健常者と聴こえ方が違うのだろうかということも不安になる。だから、Macサウンド設定で左右のヘッドホンの出力を調整して、右のほうがやや音が大きくなるように調整すると、4:6くらいで落ち着いた。左耳が下がっている分だけ全体のボリュームを少し上げて、今その状態で今までよく聞いた音楽を改めて聞きなおしながらブログを書いている。

そうしていると、今まで無視出来ていた音楽のヘッドホンの後ろで鳴っているテレビの音を雑音として耳が拾い始めている。音楽家を目指すにしても既に成っているとしても右耳の難聴はハンデだと思っていたが、少なくとも聴くに当たってボリューム調整で何も問題なくなるのだから、演奏に関しても耳と脳の関係にしても、機械で十分調整可能なはずだ。

高校の時に聾学校のドキュメンタリーを見て障害者の発話がぎこちなく感じた。耳が悪いだけで決して知的障害ではないものの、発育過程で耳から入る情報が欠落している分だけ知的成長が遅いのではないかと友人に話すと「それは差別だと思う。が、確かに耳から情報が入らないのはハンデだな」という答えが返ってきて、勉強不足を棚に上げ自分は片耳なので障害者認定されないがハンデを背負っているのではないかという不安が心に湧き上がった。

不安やストレスは全て病気の原因になる。らしい。とかく、全ての不安とストレスを取り除けば特に病気であることなど忘れて生活できている時もあるので、苦しんだ時に上手く凌ぐことを考えれば良い。右耳ヘッドホンのボリュームアップは何だか脳をクリアにしてくれている感じがする。

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