偏差値50の多様性と言うテーマを考え出した

俺は特殊な経歴をしている。

中学受験から偏差値70の高校に内部進学。

そこから少し落ちこぼれ社会常識が無いまま2年フリーター。

浪人として勉強はせず俺が選んだ復学先は偏差値38の専門学校。

小さなゲーム会社に就職してすぐ辞めて設計事務所に転職。

そこで3年勤めて仕事に飽きた時に親の敷いてくれたレールは既に外れていて。

戻る道はあるのかと、レールの先にあったかもしれない何かを追い始めて勉強。

しかし自身が国家試験の情報処理技術者で一般企業勤務な訳だから上というと。

独占資格である医師弁護士教師以外は職業選択の自由で何にだって転職可能だ。

職場で7年粘れば一級建築士にも成れたのかもしれないが親のレールとは何か。

俺はテレビっ子で野球選手かミュージシャンに憧れたがバットもギターもなく。

とりあえずギターとシンセサイザーは給料で楽勝で買えてその道に食いは無く。

勉強を適度にサボって漫画を読みギターの稽古をしてテレビを見てきた30代。

その30代を経て俺は偏差値70の進学校でも偏差値38の専門学校でもあるまま。

間をとって偏差値50の大学生みたいな普通の人になることが憧れだった希ガス

何か優等生として身の丈以上にチヤホヤされるのも露骨に蔑む人も嫌いだから。

普通って何だろう勉強平均点で偏差値50くらいが多分普通の指標だなと考えた。

だが、残念ながら偏差値50と言っても国数英理社で何らかの偏りがあるわけで、

受験必要科目で試験をして平均点を取るわけだから、得意科目が平均点で普通。

ここが普通である偏差値50だとすると大卒の代表値の取り方は案外と難しく。

特に企業内定で人事の人が困るのは優等生は特殊で即採用されるものとしても、

普通の奴って勉強で差がつかない代わりに何をしていたか書類で判別が難しい。

さらに言うと標準偏差50に近いほど山が高く母数としては多いという事だから。

その意味で成績での横割りより服装言動などでの外形判断を下すのも普通だし、

趣味や特技などの行動分析とか職業や年収など結婚相談所のお見合いデータも、

そうでないなら何で測るのかと問われると付き合ってみないと分からないし、

付き合ってみてもちょとしたことで裏切られるとか騙されることはあるわけで、

そうでないとすると金融機関の貸付判断の如く返済履歴でカネを見るしかない。

数的思考力や論理的思考力は特に思考法として重要視されるが人の数値化はな。

最も多くの人が比べられている数字が昭和の結婚3高である学歴年収身長だな。

だけど、それはあまりにも安易だと思うし、実際にそうでない夫婦だって多い。

そうすると3高があくまでアンケートなどの理想値であって現実でないって事。

まあ、ちょっと本筋から外れたから元に戻すと学科成績で偏差値50詳細不明。

一見普通のまじめな奴が突然殺人を犯したとかいうけどそこボリュームゾーン

成績指標だけでは一番つかみどころのないものだから、普通ってのも偏見だな。

ただ、カモフラージュが上手い人の溶け込むゾーンこそがボリュームゾーンで、

そうでないならカモフラージュではなく擬態であるという風になってくるんだ。

ネットにブログを持っていて思うのは進学校って特殊で閉鎖的だから成立して、

こうして文章でも書き起こし匿名性の海に投げ込むと幾らでも模造品が増える。

俺は以前は自分が特殊で「普通でないゆえいじめられているのでは」考えたが、

俺のアイデンティティのひとつである文筆をこうしてタダでばら撒くと増えて、

その先に俺とどこかしか同じような挙動をするものが増えついにマスになった。

格闘ゲームやトレカというオタク趣味の会で、どこか仲間はずれにされてから、

ふとギターを持ってバンドの真似事をすると今までとは桁の違うマス層にいる。

つまるところ書き出しの通り俺は経歴は特殊だが、趣味に於いて完全にマス層。

親の敷いたレールとは何かを求め、自動車で線路を走る如くの軌道修正をした。

そして同じミスチルでも人によって好きな曲とか違うわけだし、多様性はある。

投票率26%では無投票がマス層だが、そこは特殊に自民党に入れる。

ギターも練習するにはもっと上手い人がいて手本に困らない。

勉強もまたやりたくなればいつでもできることが分かった。

あとはそれでも残る特殊な部分の矯正だな。

普通になりたい、そうすれば普通の友達と普通の結婚があると考えるから。

普通という無形のものを追って来た。

普通が定義できないのに自分は特殊であり、特殊であるからと推論した。

まだまだ色々と間違っているのだろうな。

勉強が得意だからと信じて勉強して、成績は特殊でも人のタイプとして普通の優等生になるということが親の求めた道なのだろうなと思うと悔いがないわけでもない。ただ、それは俺にとって辛いことだから、辞めたかった。

もちろん、バットやグローブにボール、ギターやピアノをもっと早く与えられていたとしても、プロ野球選手やミュージシャンとして大成できたとも思わない。ただ、ゲーム機は与えられ、ゲーマーとしての体験の分だけ進学校のタイプから外れてしまったことは間違いない。

それでも、それ以前の時代にはゲーム機がなかったから先の大人にそういう人がいないだけで、ゲーム機の登場以降としては自分は案外と普通の道の外れ方をしていると思う。


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