夕焼けに舞う雲あんな風になれたならいいな

 若い時に聴いた歌の中に心の正体がある。

 レコードを色々と買えるだけの余裕がなくて1枚を何度も聴くうちにその世界観にすっかりハマってしまった。そんな所か。特にMr.ChildrenのAtomicHeartなどは失恋ソングが結構入っていて、恋愛もしたことがない内から先回って失恋に憧れているというような矛盾がある。歌は慰みというもの。恋愛に進展する関係がない虚しさを失恋のメランコリックなメロディで癒してきたのだろう。特に「いつも考えすぎて失敗してきたから」は先に頭で考えてしまう自分の心に深く染みた。

 近頃では狙ったことは考えれば考えるほど思った通りに上手くいく経験をしている。考えても成功のイメージが掴めないことは避け、出来ると踏んだことから手をつけるからだろう。その分だけ小さな幸せで完結していて、自分が傷つくかもしれない博打は打たなくなっている。

 さらに言うと客観を重視するあまり、他人から見えるとそう見えるけど自分の内面は全然そうでないという事案も増えた気がする。人からそう見られていると考えることに多くの思考リソースを割く分だけ、ひとりの趣味に陶酔してノンアルコールでも酔っ払えるような妄想小説の読書とかは出来なくなった。音楽は自分で奏でることを覚え始めてレコードに酔うことも減った。客観的には成長や前進を始めたように見えるかもだが自己満足度が極めて低い。客観は他者へのサービスだからな。

 まあ簡単に言うと部屋でいちゃついても他人からは出入りくらいしか見えないわけだが、二人でおしゃれして街を並んで歩いて他のカップルを「どうだ俺たちの方が絵になっているだろう」みたいにマウントするのは特に道頓堀や心斎橋近辺の盛り場の表通りで繰り広げられているバトルで、しかしフタを開けると裏通りでは金持ちが酔っ払って女を買っている。ホストクラブもあるから女も男を買っている。

 けど昼間の表通りでは美男美女が揃って歩いてマウント合戦を繰り広げているように見える。怖いところだ。あれは俺が思うに売り物の男女のショーであって、デートで間違えてあの辺に来てしまい、おしゃれな服を買わされたり、負けたと思ってすっこんでしまっては騙されていると思う。あの辺はみんな見栄に全部カネを使ってしまって本当は貧しいとも思う。試しに英國屋など入ってみても皆紅茶一杯で粘っているだけで、日本橋の喫茶店だとみんな美味しそうにカレーやスイーツを食らっているが、心斎橋の英國屋でパンケーキなど頼んで食っていると無理して痩せている美男美女は笑うのだが、その実は腹ペコなのだ。

 そして、並んで歩くというのもマウント効果はあるが、見ているのは他人の姿なので、仲睦まじく見つめ合うとなると洒落た店より美味しい店にこそそういう幸福はあると思う。それもカウンターではなくテーブル席が良いだろう。ガラス張りの洒落た店はどこか見せつけるためのもので個室の方が楽しめることもあるが、それでは客観的に何をしているか悟られない。

 その意味では地方でもファミレスくらいはあるわけで、生活感のある恋愛をしていたら、そういう場所もデートコースとして問題はないが、ある程度に固定化され束縛を伴う人間関係は公共空間に於いても自分たちのグループか他人かという線引きはあって、客観に気を使っている人の方が幸福なように見えて妬まれがちである。だが、外に焼かせる以上はそのカップルのどちらかは現状不満を抱いているはずであると俺は読む。

 まあ、その意味で太ったおっちゃんおばちゃんというのは幸福なのだろう。しかし絵にはならない。それでも若い時はお互いに何かあったろうし、そこに幸福なラブソングのひとつでも添えられたものだろうと思う。ありふれていたとしても大切にされるような歌が。


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