アルバムレコードと音楽の「溜め」

 人間の感情は波の変量に対して起こるものだと思う。微分して上がってるか下がってるかで、高いか低いかというスカラ的なものでなく、高いのが続いても低いのが続いても凪のよううに何も感じない。

 カップラーメンは近年の技術の発展で待ち時間の短いものも作れるが、3分待つ「溜め」があるおかげで美味しさが増し、いきなり出来ると同じ味でもまずいと言われる実験をして3分のままにされたそうだ。俺は麺職人が好きだが、ただ4分待たされるからそう思うだけかもしれない。

 ふと、レコード棚のいちばん使っていない奥から古いのを出して聴いていたら、「このレコードの何が好きだったんだろう」と思い、途中で宅配便を受けたり、何故か同じ曲がアレンジ違いで2回流れたりして、最後にまあ普通にいい曲だなと思う曲があって、終わった。最後の曲もっといい曲だったと思ってたんだけどなぁ、と思うと、やっぱり初めて来た時の全部どんな曲なんだろうという期待感と、焦らせる退屈があって、その起伏で最後が良かった。

 考えると、低いところで起伏をつけるためにうんと退屈なのが入っているのだよな。

 これは既に手法として何世紀からかは知らんけどクラシックにも序曲という定石になっている。劇とかが始まる前に暗幕の中で退屈な音楽が流れてから、劇が始まる。

 けど心理学とかやったやつが詐欺にかからない割に友達も信用できなくなるみたいに、わかってしまうと音楽を聴く楽しみが半減してしまった悲しみはあるよね。

 50代にはもっとギター上手くなってたいと40代の初めに思ったけど、その頃にはもう飽きちゃっているかもしれない。ただ、そのとうに飽きている50代の自分が自分でいい演奏だと思える腕になれば、まあ上等じゃないか。若い子に今以上にバカにされるかもだけど。


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