パズルを解く

 ゲームとパズルは違うという持論を持ちながら世にはパズルゲームなるものがある。

 格闘ゲームのコンボやフレームの有利不利の計算などにも多少のパズル性はあり、しかし大枠ではキャラを動かして敵を殴る蹴るの暴力的な爽快感を疑似体験するもので。それが対戦という体を取った時にジャンケンのような運要素とパズル、目押し、コマンドなどが絡んで、ジャンケンはジャンケンでもよっぽどワンパでないなら運は各人に等しく降りかかり、やりこんだものが勝つ。または強いキャラが勝つ。

 対してパズルには明確な答えがあって、シューティングにスコアという明確な指標があるようにパズルも「正答と間違い」があって、正答にも「クリアタイム」という明確な指標がある。ゲームに現実逃避しだしたのは中高で進学校で優等生に囲まれ、パズル的なものとかまあ学校の勉強な。あいつらには勝てねぇと思うほど愚直に宿題とかちゃんとやるやつに負けて、不良の先輩に囲まれてゲーセンに行っていた。

 今も格闘ゲームも遊ぶけど、店番をする居間ではちょっとした時間に数独GBAもじぴったんを解いている。数独ナンプレアプリでレベル50を超えて3万位以内に入った。もじぴったんはゲームのオプションで見る限り「ノーマルもじくん」である。

 大したことはないのだろうが、それでも毎日少しずつ積み重ねて解けるようになり、自信が付いてきた。プログラムを組むときに、納期の前までは際限なく考えてしまうが、あと三日とかになると観念して何かに手を付け、手を動かしていたら三日で出来てしまったということは何度もあった。経験が浅い20代のうちから納期を自分で設定させてもらって、分からないからとりあえず2か月とか3か月と言って、それから関連分野の本を買って読み、そして長考して、ダダっと組み上げる。

 30代の半ばくらいまで10年くらいそんなことを続けた。納期に間に合わなかったことは一度もなかった。しかしある日、目上の人から「間に合わなくてもいいから、落ち着いてじっくりやりなさい」ということを言われ、それから仕事そのものを断ることも増えた。世の中の全てではなく、ビジネスが競争だから早い納期が求められ、それに自分を合わせようと無理をしていることが分かったからだ。

 ほかの人が断るしんどい仕事を請け負うから、その意味では競争に勝っていた。けど、そうじゃなくても食えている人がいる以上は自分が勝っているというより楽で儲かる仕事を先に全部取られて、損な役回りで仕事をしてきたということかもしれない。

 パズルを解いていると、自分の身の程が分かってきて、変な劣等感も克服して、劣等感の裏返しで肥大化した俺は格闘ゲームじゃ強いんだみたいな感覚も、多分格闘ゲームでも大したことないんじゃね、というのは優勝経験があることとか自分を目標にしてくれた人に悪い気もするけど、なんかそれももっと上を目指して壁を破れそうな気がした。

 解ける問題から考え直すと、少しずつ色々な間違いを傲慢さで「大局にはほとんど影響がない」と切り捨てたことを思い出す。初めのころはちょっとでも強くなりたいと思って、出来うることは全てやろうとしていた。今はその間くらい。ダメージを考えて、練習量と成功頻度を比べて、軽い練習で出来てダメージが増えるコンボで実戦の遭遇局面が多そうな、大事なところを自分なりに当たりを付けて練習する。

 MTGのデッキ作りとかも、カードアドバンとか色々の理論があるけど、なるべく高効率のものを選り取る考え方が身に付いて、それをデッキの内容に反映してゆく。

 ファミコンの頃のパズルゲームって、比較的に簡単で全面解いて征服感を得ても難易度的に物足りなさを感じてたけど、まあ数独は順調に進んでいて全問行きそうかなって気はするけど、もじぴったんには今のところすごく高い壁を感じている。

 もっとパズル的思考力で上手のやつがいるんだなぁという距離感を問題のマス目から感じ取って、当面はトップの座は「おあずけ」だと思った。続いている道を前にして、ゴール出来ていないことが明白だからだ。

 だけど同時に、自分はひとまずこの道を行けば間違いなく成長できるみたいな感覚もまたあって、何をすればいいかわからず途方に暮れるような感覚は無くなった。

 新しい手帳を買って「来年もかぁ」みたいなブルーな気分もやる気に変わって、まあ一朝一夕には事が片付かないほうが、やりがいみたいのはあらーな。

 「これを全部やればもっと強くなれる」みたいなのはもしかしたら幻想かもだけど、今の自分のテンションは高まっている。それは全部昨日を休肝日にしたから説もある。


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