今日の遊戯王DSNT(自ら崩して組み立てなおす)

 桜井章一の「運に強くなる」という本を読んだことがある。ゲームの最後の決め手は運だと考え至った時に、それなら運そのものを研究しようと本屋で運に関わる本ではじめに手に取ったものだ。それからタロット占いや科学者の書いた運は本人のメンタルつまり精神というか気の持ち方の問題であるというような本も読んだ。

 桜井本でも新書で100ページ以上あって、その中に「勝ちパターンは自ら崩せ」というものと、全く別のページに「負けの大半は自滅である」ということが書かれていたのを今日の朝に遊戯王DSNTをしながら思い出したのだ。

 まず、ゲームを始めたすぐは勝とうとした。勝つために研究したし、勝つともらえるっポイントでカードが買える(といってもゲーム世界の中で)ので、どんどん勝ってどんどん買おうとした。やがて飽きてやめた。

 今やっているのは3度目くらいのマイブームなのだが、それも飽き気味のところで、面白いと思うカードで遊びながら、どこまで負けずに行けるか試していた。

 「あっ、遊んでも余裕で勝てるな」と思ったあたりから、かねてからやりたかったコンボなどを試しながら、ルール的にどうなるか記述の組み合わせでは分からないところの仕様をつつきだした。例えば、サクリファイスに相手モンスターカードを装備した状態でカタパルトタートルの弾にすると破壊扱いで装備だけ壊れるのか、サクリファイス本体が壊れるのか、その時のダメージは装備モンスターの攻撃力の半分か、サクリファイス本体のゼロダメージかというようなこと。

 そうこうしているうちに、レベッカにいちど負けた。ああ、だんだんデッキが弱くなってしまったなと思い、少しいじった状態でモクバに負けた。やばすぎる!モクバに負けただと!と思うが、モクバのデスコアラは最初の壁だったはず。面白くなって、悪魔の調理師などのヤバいカードにも手を出した。なんとダイナソー竜崎にも負ける。

 そこで気づいたのだ。運をつかみたければ勝ちパターンは自ら崩せ!と負けの大半は自滅であることはひとつのことを言い換えていて、自ら崩して負けることで、単調な遊戯王が「遊戯王って負けるから面白いのよね」という麻雀みたいな楽しさが蘇っていた。

 負けたところから反省点を洗いなおして、しかし遊びは適度にそのままに、そうして遊ぶと色々のパックの勝つためにはいらないかもだけど何か効果のあるカードすべてに興味が戻って「遊戯王って色々できるのよね」という境地に至った。

 まあ、それでもハズレのどうしようもないカードはいっぱいあるんだけどさ。そんなハズレカードにも絵が描かれていて「見てるだけでも楽しいよね」に立ち戻った。

 カードを見ながら膨らますイマジネーション。それが効果と数値で半分具現化される。この遊戯王DSNTはカードで攻撃すると、カードの絵が3Dモデルになってアクションを起こして攻撃する。その絵をあまりにも弱いカードの分は見ていないなぁ、という気もするけど、敵が使う分は見たかもしれない。悪魔の調理師で負けたときは、相手が見たこともないようなカードで攻撃してくれた。あっぱれであった。

 勝率9割4分から9割5分になって、もうちょっとで9割6分になるかというところで、負けて3連敗で一気に下がったと思う。けど、カードは集まったし、やりたい戦略も出てきたし、竜崎と友達になった。まあそこまで含めても、ちょっと飽きて冷めたかな。

 そうすると運は結局メンタルというところは本当に言い得ているけど、それが分かるには多くの体験と知識と思考の整理がいると思う。それは新書1冊くらいでは無理だ。

 遊戯王のデュエルの面白かったところも伝えたいが、基本ルール氏らすらない人にそれを伝えるのはまずルールを理解してもらって、個々のカードを知ってもらって、その上で何を狙って、どう縺れたかというところまで行かないと伝わらない。しかもそれで負けても楽しかったというのは俺の心理でもあって、結果としては1敗なので同じくらい勝ってみた人しか共感できないかもしれない。負けが込んでいると反対にというか普通に1勝が嬉しいとか楽しいであるはずだからだ。

 最近お留守にしているストリートファイターの対戦は負けてつまらない思いをしているところに、相手のほうも「昔みたいに負かしてくれよ」と俺に勝って嬉しいはずなのにつまらなそうだった。心理というのは分かりづらいものなのよね。


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