アルミニウムや銅とトマトは変わらないものだから

 お金のことを考えるようになった。先日は通貨、貨幣の価値について。そして国の予算から公務員に割り振られるお金について。さらに企業の一般会計と給料について。

 しかし、給料でメシを食うとなると先日スーパーでトマトを買ったのだが、まあそれが主食になるコメや小麦に鶏卵や鶏肉に魚に豚肉に牛肉に乳製品となるとどうだろう。

 かなり悩んだ。原価計算といって、相場から取引価格を求めていくのだが値段ってどこでどうやって決まっていくのだろうと。

 分からない原因は分かった。食料品は基本的に有機化合物で炭素や酸素や水素で出来ている。しかしお金は紙幣はともかく硬貨なら1円玉でアルミニウム、10円玉で銅である。これらは化学変化ではコメや小麦には変わらない。変わらないもの同士を価値比較して商売として、互いに益を認め合うから交換が成立しているのだ。

 これはトマト1個とアルミ40グラムの比較から始めても答えは出ず、交換が起こって初めて経済になるので、理科系的な頭ではなく歴史や人文から売り手と買い手の境遇の差を理解して、なぜ交換が起こるのか成立するのかと外堀から考える経済学があってもよさそうなものである。

 現代において、農家にも色々あるかとは思うが、地理で学ぶ世界の農業から考えると日本の農家は金持ちだが、それでもそのカネで作物を買おうにも自身が生産者である作物をまずカネに交換しないと他者と交換する対価とはならない。

 それで、生産者及び血縁者などにコメを配り、余りを売れるのは田畑も無い者は売ってもらうしか食料を得る方法が無いからであろう。

 何故トマトを買ったかというと、俺の事情としては近所のモスバーガーを買うよりマクドナルドのハンバーガーとスーパーのトマトを別々に買った方が安いからだ。

 しかしいくらモスバーガーより安いと言ってもスーパーのトマトは40円~50円。先にも書いたがアルミ硬貨40枚から銅貨5枚である。これはこれで高すぎるのではないかと思うが、かといって減る腹に抗う術もなく現金と交換してむしゃむしゃと食うのである。

 アルミニウム40グラムと比べると高く思えるトマトだが、1000円札1枚で25個買えるとなると、これは反対に食いきれない分量だし安くも感じる。これは1000円というのがモノを売った対価として得ているものではなく最初に書いた国から割り振られた予算から発行されたお金だからというのもあるわけだ。

 この交換の繰り返しで、ひとつひとつにクローズアップして勘定するのが商売だと心得る。近所の居酒屋ではお客さんが飲んだ後のおにぎりが400円なのであるが、仕事を手伝った時に無償で2つほど頂いた。

 俺は仕事がメシになるなら、その時々の大小はそこまで考えずに生きてきた。それが今は使うお金が食費ばかりなのでメシとカネの関係ばかり考えてしまうようになった。

 ここで総論すると、メシとカネは基本的に化学変化などで変わりようの無い物である。だからその交換は必ず商売であり、そして交換の時々に釣銭は違っているだろう。釣銭が時々に違うものを定価でマクロ的に扱おうとするから差が生ずるものであり、予算というのはだからして予測不能分を見越して多く見積もられているものでもある。

 だから、見積もりに対して皺が寄るようにセコセコ勘定することが商売の秘訣である。秘訣をブログに堂々と書いてよいものか、という問題はここでは置いておく。


🄫1999-2023 id:karmen