2日目の不思議な体験

 昨日のブログを読み返すと意味不明だろうと思った。

 自分ではわかるけど他人への説明になっていないし、忘れて読み返したら記憶が飛んで思い出せないかも知れない。

 自分がどこでだまされたのだろうと考え始めた。

 モノに名前を付けて声や文字として呼ぶ。そうするとそれに見えるものがその名前だと思う。草や木の葉を「はっぱ」と覚えたのはいつだろう。

 それはともかく、はっぱに水と光と二酸化炭素をやるとデンプンが出来る。これがどのくらい本当か。光合成はホンマにホンマか気になりだした。そのためにイタズラ心もあって、計測器のいちばん精度が高いと言われている会社に資料請求した。

 会社の人がウチに来るというが製品の値段を教えてくれなくて、何に使うか教えて欲しいという。最初は「葉緑体が見たい」と答えたら電話をしながら見ていたテレビに葉っぱが映った。そうじゃないんだよなと思って自分で本を読んで理科実験の方法をおさらいしたらヨウ素液が必要らしい。会社の人が顕微鏡を持ってきてくれるなら、それまでに葉っぱ以外にどんな実験器具がいるか準備できるか心配になった。

 まず、ルーペで見た。ルーペでピントが合うと気が済むほど大きく見えたので会社の人が来る前にごめんなさいのメールを送った。

 そうすると、自分が送ったことの返事に自分が行ったことも入っていたが、どこかの大学ではヨウ素液を使う方法じゃなく葉っぱの表面を透き通らせる方法があるとお返事にあった。

 今日は同じ会社から長さの測定器のいちばんすごいやつがボタンひとつで使える機械が新発売というお知らせが来た。それで見ると葉っぱの成長がゆっくりでも、ホントにちょっとでも見えるだろうと思った。

 だけど、ダイソーで買ったリラックマのぬいぐるみに似たクマさんメジャーをポケットに入れて庭木の葉っぱに1枚ずつ当ててみた。3センチちょうどから6センチまでの葉っぱが濃ゆい緑色だが小さくて色の薄いものや茶色いものもある。

 色は目で見る以外にどんな測り方があったっけな、と思い出そうとした。時間はストップウォッチでミリ秒まで測れるけど、砂時計で1分を測るのは毎回ちょうど測れるか疑ったことが無かった。普通の時計の1秒を測るのがどういう仕組みか知らない。教えて呉れようとペラペラと知り合いが喋ってくれたが水晶という言葉が分かっただけで何がどうか覚えきれなかった。

 木の葉っぱは大きいと言っても普通は葉っぱは小さいものだが、大きい小さいではなく3センチから6センチと分かったので、次は草を何種類かメジャーで測った。4ミリほどの小さな葉がたくさんついた草がお気に入りだが、今度はその草に何枚の葉があるか多くて全部数えるのにどうすればいいか考えた。まず写真を撮った。これを紙に大きく印刷して、ペンで番号を付けたら間違いなく数えられるかなと思った。

 それでパソコン部屋に帰って「葉っぱ」を検索しようとしたらちぎって重ねて数を数える写真が見つかった。なるほどそう数える方法もあるのかと思ったが、ちぎらず数えるために紙とペンを使うのはどうかなとか、ちぎると可哀そうとか思った。

 どの草木も名前は分からないし、パソコンで名前を調べるのにどうしたら良いか分からず、お父さんに「どれか知ってる?」と聞くと「金のなる木や」と教えてもらったが、それをパソコンに打ち込んで検索して出てきた写真は全然違う草木だった。だまされたけど、やってみたら新しい草木の写真をひとつたくさん見られた。

 庭に来る1匹のハチが多分アシナガバチ外来種の害虫と言われて怖がっていたけど、まだ刺されたことは無い。ただ、羽音がうるさくブーンとなると警戒音と言って刺す合図だと習ったことがあるけれど、ブーンとなると怖くなってすくむとやっぱり刺さないでどこかに行く。だんだんブーンとならずに静かに近くまで来るようになってきて、何度も何度も近くに来て捨ててある壊れた冷蔵庫に飛んでいく。

 あまりにしつこいので冷蔵庫を見に行くと、「冷媒」と書かれた横にアルファベットで型番を書いたシールが貼ってあり、さらに冷蔵庫の電気回路がシールになって小さく貼られているのを見つけた。小さいのでケータイで写真を撮って拡大しようと思ったが、離れたらまたハチが寄って来て、また冷蔵庫に行く。

 昨日までは冷蔵庫はハチのお気に入りではなく、錆びた雨どいに何度も止まっていた。

 それから今まで習ったことは全てウソではないかと思ったが、論理回路で考えると全てウソというのは全てゼロなので電源を入れない黒い画面のようなもので、ウソかホントかはどうやったら分かるか分からないけど、白と黒でも字とか絵にはなると分かった。そうして昔諦めた哲学の本の最後のページをパッと開くと西田幾太郎の言葉が乗っていて「なるほど」と思ってからよく考えたら、今の自分はもしかしたらもうほんの少しだけ深いところに行けるかもしれないと思った。

 会社の人はメールで商品の値段を聞くと「会いたいから一度お会いしてから」とか「そこまで高くはない」とかいろいろ言うけどそれをお父さんに話すと「どんなに騙されて高いものを買うことになるか分からんのやぞ」と言う。

 けど、だんだんと好奇心が強くなって、封筒に用意した生活費以外に銀行にお金がおくらあるか計算して、いったい幾らで何を売ってもらえるか期待と不安が両方ある。

 まだ、何も買っていないし、来るという約束まで日がある。だからせっかく来てもらえるのにそれまでに勉強しないで当たり前のものしか無かったら失礼かもしれないと思うようになった。

 今度の広告の商品は単位の字が小さくて難しく、数字で何分の1とか書いていない。読み方が分からないから検索に単位の字を入れられないからカンニングも出来ない。勉強とカンニングがどう違うのか良く分からないが、知らないで問題を見てから答えを出す前に答えを頭以外から出すのをカンニングと言うのかもしれない。

 ところで、葉っぱにクマさんメジャーを当てると、葉っぱと茎の境い目がどこなのか分からなくなって、ミリで言うと3ミリくらいの幅で適当でも良い気がした。木の葉の場合はそうだけど、草の場合はそもそもが3ミリくらいで、観察すると気付かなかった小さな虫や石ころのすき間に知らなかった緑があった。

 だけど、だんだんどうでも良くなって来ている。昨日もそう思って辞めた。

 気が付くと自主学習の手帳を7週間サボっていて、ああ、だから大学に落ちて専門学校だったのかもなと思った。そういえば夏期講習を2週間くらいサボったんだっけかなと思った。進学校で講習をサボったのは俺だけだったらしいが、今でいう夏フェスというか歌手のコンサートライブに言った記憶がある。

 勉強と趣味の両立をするなら、それ相応に時間がいると思うが、時間は考えると誰にとっても1日24時間かもしれないし、どうやって測るのか方法を時計以外に知らなかったけど、睡眠時間を削って起きている時間を長くしてもそれで本当に成績が上がったかは分からない。

 それでも悔いると化学の本をパラパラと見てやり飽きたつもりが新しい気付きがあって、それをノートに書き写した。読んでいると気付かないが書き写すと気付くことがある。だいたい、読んで覚えようとして、書き写して勉強する癖が中学受験くらいで面倒に思えていた。それにする前から「そんな勉強何の意味がある」と突っぱねた。

 それより知りたいことがいっぱい増えるけど、どうしたら分かるか考える。考えても分からない時に仕方なく本を開いて関係ありそうなことは無いか探す。

 今日のブログは多分文章になっているが、長くなった。やさしいことをくどくど長く書かれえると難しい漢字より退屈に思えたことがあった。けど、漢字でひと文字になっていることをそんなにたくさん組み立てて一体何になるとある日から変わった。

 でも、中国語には漢字しかない。ひらがなを使う日本語でないと分からない表現が日本にはある。まあ漢文も英語も凡人レベルだと思っている。大学に進むと第三外国語とかを学んだりするらしい。確かにそうしたら広がる世界もあるのだろうなと思う。

 光合成は習ったら本当だと疑わずに信じてきた。けどホンマにホンマかと疑ったら、じゃあどうしたらと分かる方法を考える。やる前から、ホンマにホンマか分かってもホンマにホンマにホンマか分からなくなるだけやん、と先回りする人がいる。

 けど、その寄り道というか単に何度もウソかホンマかの反転をするのではなく、明らかに量が増える。量が増えていないなら、ひっくり返っているだけだということだ。


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