孤独を紛らわせるのではなく

 俺の悔いは大学に落とされたことでその責任が自分の勉強不足であるか大学教授の合否判定であるかという論点でケンカを売ってきた。

 しかし、中学から勉強をするグループは余裕があって俺のことを待ってくれていたのに、そっちに向かって頑張ろうとすると「もうやめようぜ」と悪の誘いをするグループがいて、そういう関係性の結果として落ちたことが自己責任にされたのが悔しい。

 それでも専門学校に行って就職から25歳までは順風満帆の反対に逆風とかクラクションとか安全コーナーをすべて無視してアクセル全開で仕事をした時期があった。腹いせだったのだ。

 その最中に奈良生まれが大阪に住まいを持って支社の社長になったすぐ大阪中の会社から「仕事はもうない」と言われて兵庫県に転勤になった。そこで入館の指紋認証を初めてみて、入館許可を得たら、研究所の中に会社の一室のような備品の揃った部屋があり、その部分だけが建物の中で時代が少し古いかのような作りになっていた。

 監禁されたような記憶があるが「3カ月ほどの納期」という知らない言葉を言われて「3カ月ですね」と漫画家の締め切りのように納期というのを過ぎるとマンガが出ないで出版社がつぶれるくらいの、というか知らない何かが起きるという恐怖を「納期」という言葉に感じて働いた。

 それから大阪に帰るとブロードバンドという技術があるという情報が東京から来て自宅マンションの大家さんにマンションにADSLを引いてもらってノートパソコンで仕事でネットをしようとして、それまで社長にしてもらっていたお金の話を自分で分からなく働いても働いても「働くってプログラムがどうしてお金になるんや?」の一点張りでお客さんが付かず、貯金を崩して家賃と食費と電話代だけ払う生活が始まった。

 病気をして浮浪者同然になって借金を背負って実家に帰ると自室にも古いパソコンがあった。

 それから親父がパソコンと食事だけを用意してくれて、やり続けた仕事の結果がGoogle検索に広告を付けたアフィリエイト、日本語訳を無理やりすると紹介手数料と考えられるが、実際には何の明細も取り決めもなくどこからともなく数字に見える画面が更新され、それが8000円を超えると銀行に日本円が振り込まれるという方法で初めて銀行に振り込まれたお金が、雇われて言いなりにプログラムを組まされる仕事ではない自由な仕事だと嬉しかったが、そこまでにかかった20年近い歳月とか自分の人生を考えると不利が過ぎる条件だと分かった。

 それから悔いていた受験勉強を再開して、デスクで勉強してブログを書いてサボることもあるってか自分の部屋なのだが、ネットで在宅ワークアフィリエイトに関するお金の噂話がどんどん広がって、この住所もそうであると特定されバッシングされた。

 しかし思い返すと兵庫の研究所で指紋を取られており、警察沙汰になった時に別室で指紋を取られ、最近思い返すと兵庫の研究所で取った指紋と警察で取った指紋がどこかで比較され一致して何かの標的として遠く知らない相手の安全圏から調査されていたのではないかと考えるようになった。

 その前にせっかく高卒でもバイトがあったのに進学した同級生が「よう高卒!」と仕事をしている俺を笑いに来て、貯金で父親の反対と母親の賛成で本人は父親を説得できず「行く」と押し切った専門学校の学費を払ったことがそもそもの間違いだったと振り返る。

 その話を親父のクルマから積み荷を降ろすのを手伝いながら、あの時反対だったねというと「お前はちゃんと勉強して色んなことを教えてもらった」と言ってくれて、それが今の境遇のせめてもの救いとなっている。


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