そして朝風呂に

 朝から缶ビールを飲んで仕事も手に付かず飲んだくれブログを書いた。

 「このままではダメだ」と思って朝風呂というか朝シャワーしてきた。

 思えば病気になる前、朝シャワーを浴びてタクシーで会社に出ていた。その朝風呂はタクシーの運ちゃんからは情事の後に見えたかもだし、派遣社員がタクシーで会社まで行っているだけなのだが、まあ派遣社員と言っても有限会社フリーライフ大阪支社長で社長になれば自分も売られることなく派遣社員の売買で生活できるかというとそんなに甘くはなく、自分自身を売りに出して富士ゼロックス大阪の二階で働いていたのだ。

 タクシーで会社に行くとゼロックスのビルの正面には廃工場のようなところがあるのだが、ある日から従業員が並んで朝にラジオ体操をするようになった。

 タクシー出勤は周りの視線がきつくなり、シティバイクといえば聞こえはいいかもだが要するにスポーツ用の自転車を買ってそれで通勤をするようになった。まず買った週にタイヤの空気を抜かれるイタズラに会い、さびれた自転車屋まで押していくと空気止めのゴムをおばちゃんが「これくらいやるから」と真っ黒の手から渡してくれて、その場で空気を入れさせてもらって出社した。

 ゼロックスの二階には兵庫県富士通から電話で注文が入るのだが、出張費を出して兵庫県までゼロックスの技師さんとふたりで鈍行電車の旅だった。その時に俺は出たばかりのiPodで音楽を聴いていた。アップルのロゴが入っており、Macを買わずにWinXPiTunesを入れてiPodにつないでいた。マシンはシャープ製だった。

 富士通の工場では全員机に基盤を置いてテスターで通電検査をしており、そこにひとつだけ黒電話を置いたデスクがあり、ゼロックスではいちばんうるさいので兵庫の富士通に飛ばされた人が黒電話ひとつしか与えられず、基盤テストをする人の中で電話一台を手に泣きそうな目でこちらを見ていた。

 何故病気になったんだろうなと病前の事を時々思い出そうとするんだ。「忙殺」という言葉があるが、大抵の場合それは「繁忙」の言い間違いなのであろう。明らかに死んでいないし、忙病とは言わないが、現実的には「暇殺」だったかもしれない。

 めちゃめちゃ忙しかったのに、ふっと仕事が無くなり三カ月ほど暇をして貯金を崩して暮らしていたのだ。減っていく貯金に電話では来ない仕事でせっかく買った自転車で営業に回ることをせず自室にADSLを引いてパソコンで何とかしようとしていた。

 お金が無くなっていくことへ恐怖を感じたのはカネのない生活など想像できなかったからだ。恐怖に支配され、病気になった。きっとそういうことだと思う。

 あの頃と今が違うのは、ゲームも散々遊んでギターもやってみて、まあ上手くなることに夢はあるが、今まででも十分良く生きたという死に対する安心がある。この心境を二十歳や三十代に抱いて小づくり子育てに励む人はいるのだろうか。

 曰く普通の四十代。早婚か晩婚か。独身のまま死んでもまあその準備として何か残そうとして生きているのかもなぁ。

 朝飲んだ酒はちょっとは抜けてきたか。


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