徳川家綱って何した人なんだろうね

 小六の時に奈良で名門と言われる田中塾に通っていた。習ったことで今でも覚えていることは何だろう、というと卒業の時はよく覚えているが、まずB組の授業がありそれからA組の授業があって、風邪でB組の授業を休んだ時に母親が「ついていけなくなったらいけないからお願いしてA組の授業に入れてもらいなさい」「ダメだよ母さん、そんなことしたら文治先生怒るよ」「怒られるわけないじゃない勉強しに行くのよ。お願いするの」

 結果A組の教室はいっぱいで母親は車で入り口まで送って帰ってしまい、俺は文治先生に事情を話すと「君はA組の子には出来ないことをした。そこで正座しなさい」と教室の脇の下駄入れで正座して、寒い中で1時間の授業を外で耐えた。

 恨みしか無かった。母親と塾の先生の板挟みにされ自分が悪者で寒い中正座をした。その恨みは文治先生の教科である社会科とは何かということに変わり、親父に「何故歴史なんて勉強しなくちゃならないの?」「そうだな、過去の人と同じ失敗をしないためだよ」「過去と今は違うじゃない!なんで今を学ばないで過去を学ぶの?」親父は黙って煙草を吸った。

 それでも、今の時代でも歴史を勉強したものは歴史上の人物を例えに出して弁をふるうので、無教養だとバカにされたり会話の意味が分からないことがあり、小学校の頃を少し反省するのである。

 「いえつなくらいしらないと」とある人が言う。

 まあ、「いえつな」が恐らく徳川家綱であることくらいは分かるが、何をした人かは残念ながら知らないのでWikiってみた。小学生のようで恥ずかしいが引用すると・・・

治世後半には家光期に起こった寛永の大飢饉の反省から飢饉対策として農政に重点が置かれ、宗門改の徹底と全国への宗門人別改帳の作成命令や諸国巡見使の派遣、諸国山川掟の制定、河村瑞賢に命じて東廻海運西廻海運を開拓させるなど全国的な流通・経済政策が展開され、『本朝通鑑』編纂などの文化事業も行われた。また、家綱期には幕府職制の整備が完成され、幕朝関係も安定し、対外的には蝦夷地でのシャクシャイン蜂起や、イングランドリターン号による通商再開要求、鄭氏政権による援兵要請などが起こっているが、家光期以来の鎖国政策が堅持された。この時期には伊達騒動越後騒動など大名家のお家騒動も発生している。

 どうやら家督世襲で次いで飢饉対策をしたらしい。SDGsとか持続化給付金とそれがどう結びついているかというと、SDGsは結局CO2循環による実質上の農業政策であり、機械が生み出す二酸化炭素を化学で吸収できないかというとそんな機械が発明されるかどうかに賭けるより現実的には植物の光合成つまり農業政策に寄るのだろう。

家光は500万両を残したが、明暦の大火で焼失した本丸の再建費用だけでも100万両、金銀の産出量の低下と貿易による海外流出で1661年には358万両、家綱が死んだときには100万両も残っていなかった。年々10万両ずつ減っていたが当時の幕閣たちは財政に無頓着で何も手を打たなかった。

 だがその結果としては財政が悪化したらしい。飢饉を救うお金は幕府から出たわけだから、そう考えると一定の合理性はある。他のお金の使い道ももちろん事細かく追うべきかもだが、ざっくり飢饉を救ってカネが無くなったとするのは単純だろうか。金銀の産出量の低下と貿易による海外流出とはあるが、飢饉を救うのに海外から食料を買って金銀が流出したのなら勘定は合う。

 では過去と同じ失敗をしないために何を学ぶべきかというと、財政のために飢饉を切り捨てるということも考えられる。飢饉は救わねばならない、財政でそれを解決すると海外に資金流出する、そこで農業政策を取るのなら家綱政権でも同じことはしたのではないか。

 まあ、家綱といっても今でいう「岸田政権」みたく、家綱が将軍として奉られていて政治を取っているのは老中なわけで、老中方が政治を歴史から勉強して「家綱ですな」とウォッホンしていらっしゃることまでは分かったが、それは財政支出を歴史の通り受け入れるという事なのか、他の手を打つということは考えられないか、子供の頃の俺が思ったように「今と過去は違う」ということか。

 だいたい、俺が風邪を引いたのは寒いからだということを文治先生は分かっていじめて悪化させたというか、貴族の子供が田中に勉強を習いに来ていじめられるということが母親は分からず能開センターとか行ってたのに塾を変えさせたのもひとえに受験戦争のプロパガンダに親族一同騙されていたわけで、東大を出ていても田中塾の小学校の力の5000題に出てくる「家綱と似てる」程度の類推しか出来ない人が識者として弁をふるっていて、論理に対して反論できないのではなく歴史上の人物を知らないがゆえに論旨が何であるかも分からないという手を相手方は取っているということに抗えないのが歴史を知らないモノの歯がゆさだと思うのだが、こうしてネットもあってブロガーとしてやっている以上はウェブ2.0の手習いで引用して反論できる体制は整っているのだ。

 そうなると、歴史から学ぶなら家綱政権がどうなって次の綱吉に行くかとなると財政難は放っておいて世襲が終わって養子で綱吉になって何事も無かったかのように時代は次に進む。家綱は文化にも財を費やしたようだが、中国でも文化大革命以前は貴族政治があったわけで、貴族が世襲で政権を取るとロクなことにならないという風に教えを持って行くのは本を書いてる人が田中だからじゃないのかなとは思う。

 問題は解決されないまま時代を進めて、どうなったかという記録から、政権を取って何をなすべきかという意思はなく「こうであった」の積み重ねから思考は生まれない。

 貴族を批判して農業政策を進める割に農民も選挙活動をして政権を狙い、そして岸田政権になった時に家綱を語っているわけで、歴史学者なんてのも何もしないで子供を騙して教育を願う親からカネを取っているだけなのであろう。


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