その昔に「かっこいいから」何となく買ったお経を部屋のどこかにあったはずとガサゴソ探して、ガラクタ入れの中から見つけたよ!
なんか魔界塔士SaGaの「ねんぶつ」みたいに不思議アイテムとして家にあるけど、国語の復習をして、現代文のルーツは古文と漢文にあり漢文は日本では空海が遣唐使で持って帰ってきた仏典から学ばれたことを日本史で学んだことと併せて考えると国語の勉強のひとつのゴールがお経にあると思ったんですよね。
ただまあ、それはあくまで仏典であって、煩悩に分類される「こころ」を他者と共有できないかという試みが和文にはあるので「俺はこう思った」ってことを俺は話します。
和文をやってみてからお経を読むと是は本当に唐代まで遡るしか確かめようが無い。日本のお経のほどんどは日本で写経されたもので、どこかの原本を写したものではなく日本で書かれた音韻表現なんとちゃうのかなぁと般若波羅蜜多を疑います。
ドラクエIIIのジパングで得られる最強の防具が「はんにゃのめん」だったのがそれを手伝ってそう思わせている節も否定はできませんが。大体からして客観視できる物的世界を真理とするわりに般若「心」経なわけでそこも矛盾を感じるポイント。
心とは何かということは客観視できないわけで、だからして俺は人に罵詈雑言を浴びせられたら腹が立つタイプだけど、最近は「凡そ意味を分かって言っているわけではなく口移しである」とは思って聞くんだけど、少なくとも言われたら腹の立つ言葉を言い当てて相手を怒らせているということについては正しいわけです。
俺は他人が自分のテリトリーにいると主体がそっちに移ってモノを考えることがあって、何を考えているか分からないとか、分かっていない言葉を平気で口移しで言うとか、そういうのがとても苦手です。
自分にもというか誰しも意味を理解しないまま使ってしまう言葉ってのはあるかもだけど、ひたすら辞書を引いてみたりしたことのない人が使う言葉の羅列を意味あるものとして捉えようとしても分からないで並べているだけだとどこか見抜いて嫌気がさすことがある。
面と向かうとそこまで責めてしまうので、相手が誰かと組んで囲うように聞こえるように悪口を混ぜて話をするっていうのが最もやりづらい。
それでも、相手の心はこうだろうと思っているところが当たっていないからやりようが無いのであって、止める術は無いものかと考えてしまう。これが煩悩なのか。それって独りでお経読むなら煩悩だけど他者が音波で干渉してきている時は是空も何も煩いわけでそれが人のいないところでもずっと聞こえるのは何かのトリックなら打ち破りたいけど、現状はお医者さんに診てもらって「病気です」と診断されただけ。
うん、ブログ書くのここで止めて飲み忘れてた朝のお薬飲んできます。しんどい。