今日もMTGに没頭できた

 午前中ブログ書くのにかなり長時間を費やして、先の記事に関しては多くの人の意見や思想の中でねじれにねじれて騙されていた思考回路を理路整然と並び替えるような効果があって、あーでもないこーでもないの無駄話でも知識の蓄積にはなっていて、それにまとまりが無いから気持ち悪いのであって、自分軸で強いと思うカードとその理由を整理しながら、それで束にして繰って出た結果に一喜一憂するのではなく事前にある程度確率計算をしたのなら、数回の試行での引きムラはオカルトへの入り口であり、持論を信じてGOを出す勇気がちょっと足りなかったかな、勝者に相談して決めようとして騙されて返されたかななどと反省するわけです。

 まあ、カードプールの広さやシャッフルのムラを考えたら、このゲームで対戦経験が生きるのは相当に数を重ねた後のことで、季節ごとに新セットが出て環境が変化することも考えたら「軽いカードが出やすい」「単色だと事故らない」「多色にするならデュアランが必要だが出づらいし売価も高い」「カードには時々コスパが壊れたやつがある」くらいのことを指針にデュアランをコツコツ集め、軽いカードと単色を目指したカード集めとコスパ的な壊れカードを見つけ出すことを繰り返して、軽量級で多色だから事故は割り切って、軽いマナ域で時々猛威を振るうポテンシャルのカードを組み合わせて、あとは趣味で1枚ドラゴンを残したけど、どうかな。

 エスパー要素と赤単の焼き要素が半々くらいのハイランダーで、相手の事故にウィニー戦略で付け込むことを主軸に似たようなウィニーなら「炎破のドラゴン」や「願いのジン」がゲームエンドになるかもだし、除去されたら火力だけでも相手ライフ届く枚数は入っている

 俺は赤単はホントは信用しきれないのは過去環境で赤の防御円張られた苦い経験からだけど、現環境には無いらしいし環境に合わせた火力カードも変わってスタンダードではないわけで、そのへんがややちぐはぐ。赤で焼き切って「このゲーム退屈やねぇ」と言いながらも優勝をかっさらっていく人もいる中でデュアランから入って多色でカードの組み合わせを楽しんでドラフトで優勝することからエクステンデットあたりを目指してきた。いま何て呼ぶのか正確に知らないレベル。

 それで、このデッキを組むに際してはウィニー戦術からの「雷光の猟犬」が時々すごい爆発力を持っていて、以前から「黄金のたてがみのアジャニ」でやりたかったことがもうちょっと現実的に1マナ減って出来るんちゃうか?と。

 それと「クイリーオンのドライアード」が時々序盤から猛烈に大きくなることがあって、それはショック1枚でコントロールされる可能性もあるけどその可能性は「隊商の随員」とかも全く同じなので、マナをレベルアップに使うのではなく追加のカードを使うことで大きくなって行くこのカードを活躍させてみたいというのは動機。

 あとは以前からあまり変わらず"Windfall"とか遊戯王メタモルポットが禁止なのと同様に禁止になったこともあるけど、1ターンに1枚ずつカードを引きあうゲームで「相手と自分の手札の数を同じになるまで引く」という効果が最大7枚差で7ターン分のドローアドバンテージになる潜在性があるわけだ。ウルザズサーガの壊れカード。

 "Hammer of Bogahdan"は大したことないカードかもだけど、「稲妻」より重いソーサリーではあるけど「稲妻」をデッキに4枚入れて「ジェイムデー秘本」で稲妻をもう1枚引くことを考えたら、墓地から5マナで稲妻を手札に戻しているわけで、その運用コストが詠唱3マナ回収5マナの計8マナ赤シンボルで言うと5つで、これはミラージュの壊れカードだったと思うし今でもそう。

 まあそんでもヴィンテージに参加するほどたくさんの壊れカードを持っているわけでは無いけど、カードセットが出るたびにちょっとドラフトしたりパックを買って「これはおかしい」と思ったカードを集めている。

 もっとおかしいカードもあって、それがそのシーズンでは単体では役に立たないものが後々何かと組み合わさって光るということもあるけど、始めたのが日本語四版ミラージュブロックあたりなので、先から遊びこんで交換で得を狙っている人に最初の方に随分食われたと思う。そのまま辞める人が最大多数派だが、悔しいなと思ったことは恨み帳に付けて、いちどは大会での一攫千金で取り返そうとしたけど、まあそれは夢見ず裏切られた人もいれば出来た仲間もいるわけで、実はトーナメント参加を控えて趣味人と遊べばまあ勝たせてもらえることもある。

 世間から思われるほどお金のかかるゲームというわけでもない。ゲームソフト1本分を新作の未開封パックに当てれば、当たりハズレはあれそれも含めてゲーム1本分双頭に遊べるゲームだと思う。機械と違って電池もいらないし故障もない。ただまあ、繰ると擦り切れるのでコレクション的な価値を保存するのにカードスリーブは使う派。

 まあでも理解者は今でも少ないとは思うし、それは俺に対する理解者がいないという話であってゲームの参加者はいるけどそれに対して俺が取っているスタンスの共感者がいないということ。

 それで、独りで研究しているのは偶然的に引いたハズレカードの束から勝ち越しと言わずとも現役にワンパン入れる潜在能力のカードは無いかとか、そんなことの繰り返しが新環境のドラフトで火を吹くことがあるという感じ。

 それが凄い事かというと、優等生でテーブルゲームの愛好家で何のゲームでも強い遊び友達のひとつのグループが俺が頑張っているのを彼らが若い時に通った道と似ていて、草葉の陰から応援してもらっている感じ。一緒に遊んでいたこともあったけど、議論がハイレベルで、やや付いていけないこともあったけど、そこは「テーブルゲームはMTG」という俺があとあと正しいと分かってもらえた部分もあって、久しぶりに遊びたいなぁ、と思うけど結婚などで連絡先も変わって会えなくなった人も何人かいる。

 俺はブログのアドレスを変えずにこうして続けているけど、検索で見つからないようにタイトルは変えたりしたわけで、拒否ったり連絡したりで態度を固定していないのが仲たがいの要因でもあるとは思ってマス。ケチンボに得するように遊びたいのは今でもですから、パーッと飲もうって会には行けないし、遊んだカードは自分のものとして店に寄付とかではなく持って帰りたい。そのへんの合意がちゃんと取れないんですよ。


🄫1999-2023 id:karmen