WE CAN NOT CELEBLATE NEY YEAR
BECAUSE
MONTH 1 DAY 1 YEAR 2024 NOTO ISIKAWA IN JAPAN
CRITICAL EARTHQUAKE DIE 48 PEOPLE
ELEC, GAS, WATER SUPPLY CHAIN STOPPED AT NOTO
THEREFORE
JAPANESE FOOD SELF SUFFICIENCY RATE NOW 3%
YABAI! DANGER!
WE RISE RICH COUNTRY, STRONG SOLDIER
BUT PEOPLE FALL INTO TOMIOKASEISIJYO
ZANGYO OVERTIME REACH 7 HOUR
BUT THEIR MAKES PRODUCT HOBBY BOOKS MUSIC CD ETC.
HOBBY CAN NOT TRADE FOOD ANY MORE
WE NEED NEW STRATEGY TO GET FOOD
あーしんど。慣れない英語ではあるが、はてなブログで日日貿易というか内需というかブログ書いてアフィって少額のお金を稼いでいたら読者の方からも「読んで下さい」と本が来て、本ならどうしても商品という感じがして手紙一枚のやり取りではなく本と本との物々交換な成り立たないかと思うと印刷出版等の費用が掛かり、本を売って飯を食うつもりなのかタダの通信が量的な肥大化を生んで学者さん同士盛大に言いたいことを言い合った結果の失敗例になっている感じがしてしまっているのよね。
幾らモノを作っても内需率は3%でコレは海外に売れるものを作らないと食料の輸入にはつながらないわけで、実質的に日本は貯金を崩したり貿易で利益を出して海外からメシを買っているという事になるわけです。
従って英語で書くべきではないかとも思うんですが、思ってそうしてああしんど。でもこの適度なしんどさこそが文筆の元々の在り方であり脳内キーボード活字垂れ流してのがラクチンでも効果としてはどうなのってところをもうちょっと考えたい。
外人さんが日本の旅行に来てゲームソフトやガンプラ買って帰ってくれるというのを貿易レベルでどかっと出荷みたいなことを企てて成り立つものなのかというね。
明治の人が絹糸でも売れるものならガンガン作れと命じられたように、ホビーも売れるなら作っちゃおうという判断です。まあコメ作れ農業政策を取れって言っても即効性がどれくらいか分からないし、人のやる気スイッチという意味で。
まあ着物っちゃ言っても街を見渡して裸の人はいねぇし、店にも服はいっぱい陳列されているわけでユニクロとかGU的な小売り戦略は成功して次の手となると衣食住から趣味かなとは思っているんですが、趣味は趣味であって仕事を仕事として作って余暇を取るか、余暇でも作って売れるもんならどんどん作って売っちゃおうとするかの論議は今後に続くと思います。
でもぶっちゃけ英語じゃなくて時代は中文かなという気も書いてからしていますが。