ギターソロとかイントロとか

 「ぼっちざろっく」のマンガ版が出るより前に俺はゲーム仲間とサシ飲みをして「何か面白い名前考えられるか?」と聞かれた。

 酔った勢いで言った名前のひとつに「ぼっちざろっく」やその作品中の歌詞の一部も含まれている。それから会っていないが、まあ取られたんだと思う。アイツが取ったのか、売ったのか、はたまた飲み屋の店主が目的のやつに売ったのか、言った事は消える。だから著作権とかそういう問題には出来ない。

 そんなことは昔からで、テレビっ子に対してテレビを作らされるテレビ局の人間がイタズラで取られた感覚にすることは日常茶飯事だろうし、有名な中には藤子不二雄Aがギャンブルで負けたらその相手をマンガにしてやったというような話もある。

 それはそれで「名前を付ける」という行為にもし価値があるとしたら、それは登録商標などで本当に価値は認められるのだが、プログラマーをしていると新しいモジュールを作るたびに関数や変数の名前を考えて、1本作る間に無数の名前の付け捨てをしてきた。

 俺は会社員と言ってもバイトから専門学校を出てバイトと同じ感覚で気軽にホイと会社に入れたから、そのありがたみも分かっておらず、プログラムがどれくらいカネになるかも知らなかった。バイトの頃より給料が良くなったので会社員っていいもんだなぁ程度に思っていたのだ。

 しかし30代ともなると転職市場での給料交渉や、給料より特許出願した方が権利収入が多いことや、カネの色々を知って会社員の給料相場として多いとしても物足りなくなっていた。カネの事をもっと知って楽に儲からないかとか邪心が芽生えたのだ。

 それでもそんなことをしている間にも遊び癖がついて散財して、またカネを借りるように派遣で何処かの会社に入って月給を3ヶ月分もらう。その繰り返し。

 その繰り返しで長いこと現場にいない奴は信用できないとか、3ヶ月で成果なんて出るわけがないと正社員が人事に口利きをするわけだが、会社に入って3ヶ月の間にその会社にある書類をどんどん読んで元からいる社員のパソコンをLAN(ネットワーク)で管理して、成果を出してきた。アイツならやってくれるという信頼を経営者サイドから勝ち取ったのだ。

 だが、30代には俺の偽物も多くいたらしい。俺と風貌を似せたり名前を騙ったりしてカネを取る。俺は無名で出来る子だったが、有名になりたくて実名のフェイスブックを始めて、既存の人間関係に割り込まれ破壊されて騙されて大変だったが、もう放って家でゲームをしていた。関係ないと思うようにしたのだ。

 最初に書いた「ぼっちざろっく」の酒屋の話もそんな時だった。

 そんな俺の今の悩みはマンガのように独りでギターを弾く生活で、練習しているところとか失敗している情けないところを共有できる仲間がいないことだ。人前でいきなりカッコいいところを見せるのは芸能人的だが、裏側を知る人間がいないということは合成とか加工を疑われた時に「アイツ頑張ったよ」という風に肩を持ってくれる人間がひとりもいない。

 それでも、そうして欲しいと思うのは俺のギターテクが不完全でバッキングのみだからで、その良さが分かる人分からない人がいて、独りでピアノを練習するなんてのはピアニストなら当たり前で、ギタリストとしてソロとかイントロを弾きこなせないで弾き語りを自分なりにまとめているから、それにたいするいちゃもんのひとつの「合成ちゃうか」とか「加工ちゃうか」みたいなことを気にする内心には「そうだとしてもカッコいいという所まで技芸が成立していない」という自分の悩みが別の形で噴出しているのだと自己分析している。

 それで今日はイントロの練習をしていたんだが、向かいの料理屋の主人が「あの子彼女出来んわ」とぼそっといったように聞こえるのは本当に言ったのか病気の幻聴なのか、もしかしたら「ぼっちざろっく」を酒屋で語ったことも夢なのか。実際、病気と診断されるずっと前からそんな感じだった。

 証拠がいるとなって、自撮りの動画を取ったり、プログラムを会社に納めるのではなくOSSにしてから、技師としても音楽家としても見向きもされなくなった。証拠が残されていると使い物に成らないのだろうなと邪推する。

 そりゃ高い給料をもらって仕事をしても、会社が損する仕事を頼むわけがなく、俺が作る勤める働く一挙手一投足の何かで会社はそれ以上に儲かるから雇われるのだ。

 もちろんそれはずっと前から思っていて、ひと旗上げようと独立したが、企業ではなく会社と契約するフリーランスのカタチが目一杯だったわけで。

 それはまあ、一流ほどは働いていないのだろうなとも思う。一流はカッコいいが、それ相応の努力や苦労をしていて、俺からすると自己犠牲の精神みたいなものも持ち合わせないと慣れないのではないかとすら思うことがある。これは世の中平等で、運が良かったら反対にどこかで損をしていて、みなが等しい幸福量をもっているみたいな間違った思想に立脚している。金持ちで幸せで超天才で技芸も優れているものと、貧乏で不幸で凡才以下で能無しのやつなんて対比があって良いものかと思った時にふと自分は後者ではないかと心配になったりするのだ。ギターソロが上手く行かないときとかそんな心境になる。

 それから「ぼっちざろっく」商標登録してたら幾らになったんだろうなとか、今更に感情をしても後の祭りである。ただ、自撮りを回したり打ち込みをしたりと黙々とパソコンにデータを入れていく。

 そう考えると20代に作って退社と共にお別れした自分のプログラムシステムが恋しくなったりもするのだが、それを割り切って麻雀や将棋を作り、それでダウンロードやほんの少しのお金にしたけど、会社の給料の方がずっと高く、それが不思議で仕方なかったこともある。独りで全部やったのに、丸儲けにはならなかった。

 やはり、お金がもっと欲しくなったら就職活動に戻るのだろうなと思っている。会社というのは不思議なものだ。もらえる以上に稼いでいるとしても、それは仕事を補佐してくれる多くの人がいるからなのかもしれない。甘い考えだろうか。

 ソフトウェア特許などについても自分で少し調べたが挫折したし、ある場所では特許侵害している会社が別の会社を特許や著作権や商標で訴えていたりもする。裁判なんて仕掛けたもん勝ちで負けた方は泣き寝入りだが、カネを持っていそうなところのわきが甘いところを狙うのがやり口で、俺も名前の付け捨てなんてあふれる才能があったから狙われたのだろう。才能はあるのかもな、俺。

 まあブログにしても毎日書いているが、文章の上手い奴と文才の妬き合いだし、下手くそに見えるのが親近感を誘って集客につながるのが天然なのか狙っているのか勘繰ったりもする。今のネット社会は本当にロックの時代のように万人の万人に対する戦いなのだろうと思うのだ。

 まあ、こんな話を書いているのもギターソロが上手く行かないからなのだが、そればっかりやっても疲れうので、毎日時間を決めて練習して、ふとそれが何かになる日は来るのだろうかと考えると自己満足で終わるのだろうと思うけど、ネットで公開している以上は誰かが見聞きしてくれていると思うことにする。俺の感想は孤独なのだ。


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