音楽とテクノロジーの狭間で揺れる人生

 ゲーマー仲間から、専門学校行って資格取ってプログラマとして会社員になった頃には社会の歯車というか犬になっちまったと残念がるというかやきもち焼くというか、反対にというか正準に「立派だね」と肩を持ってくれる人もいたけど、その会社員すら40で辞めてギタリストになるとかいって退職金で趣味にしているくらいなら笑いもので済んだのですが、それがプロになって1円たりとも稼ぐようになったら立派の中の立派ではなく、むしろ子供だろってどうねじれたか、だけど正しい気もする。

 まあ、会社員で40というと出世の節目で、技術職か管理職かというところで、それで管理職って技術者を締めて営業や経営に得をさせるか、反対に経営者や営業と技術の間を上手く取り持って、技術者にも利があるように出来るかってのが技術あがりの考え方なんですけど、締めるか緩めるかってのはどちらにつけ上手く行っている場合で、立ち行かなくなるという最悪のケースも考えられるわけです。

 人月工数とプログラミングの矛盾点というか、コピーすればタダのものに工数を見積もって、仕事のない人が作る仕事を与えられて「食わせてやってる」みたいな昔のソフトハウスから、スマートフォンの普及でソフトを搭載したコンピュータの利便性が分かると、工数管理で納品が先になるのを待てないで、10人月とか見積もられたのなら300万円でいきなりコピーを渡せないか、みたいな無茶な要件がかかったんだと思います。「1年待って欲しい」ということを工数と見積もりで300万円って言ってもカネしか分からない人には分からないし若い頃の俺も分かってなくて、ガンガン作ればどんどんもらえる世の中にしたいとも思っていました。

 それでですね、プログラムの話が続いて恐縮ですけど、顧客からのオーダーとか企画からの立案があって、仕様があってソースコードがあってコンパイルされてシステムの一部である実行ファイルが出来る。それでリバースエンジニアリング出来るのは、実行ファイルを逆アセンブルしてアセンブラに戻せるだけで、ソースコードからコンパイルして実行ファイルを作るのは不可逆変換なんですよね。普通の人にはバイナリよりソースが、ソースより仕様書が読みやすい。300万円でバイナリとか、コンパイルした場合にはソースコードはあるかも知れないけど、仕様書も無ければ相当のハッカーでないと手を入れることすら出来ないんですよね。んでいくらハッカーでもバイナリはバイナリで、データが数字なのか文字なのか画像なのか音声なのか、そういうところを特徴量を踏まえて復元するって、まあそのうちAIがやってくれるかもしれませんが、俺は今のところそんなレベル人とコード上で出会ったことはありません。

 それでですね、やっと本題ってか既に蛇足になりそうですけど、音像です。若くて何も知らなかった頃というのはやや無責任で、若くても知っている人は知っているのですが、ようするに音楽とコンピュータの関係性において不勉強な時に、CDにはデジタルで音が入っているわけだから、パソコンでCD焼けるわけで音楽をパソコンで作れるんじゃないのかって本気で考えていたってか、本気で取り組んでいたわけではなく何となくそう思っていたのですが、専門学校で情報処理学科の卒業なので、俺がそう言うと本職よりもこっちの意見が通ってしまった過去があるんですね。

 たとえ話をするとデジカメで写真が取れるわけで、パソコンのアプリでドットが打てるわけで、デジカメ画像もパソコンに取り込むとドット絵なので、ドットで写真を作ってアニメさせたらデジカメや役者さんがいなくても映画を作れるのではないかと。CG学科の愚かさですよね。いやあん時は卒業制作で3ヶ月は真面目に取り組みましたが。

 音楽も、音感があって音像に対して音程が分かると音色の違う楽器でも近い演奏をして似たような曲にはなるけど、それはラフスケッチを見て「上手い!」と言って鉛筆の線のスキマに人それぞれの想像を乗せるからで、見る人が見るとそうでも、色を塗って仕上げた一枚の絵画ほど誰が見てもそう、誰が聴いてもそうというわけではなく。

 そんなこんなを我が家のちっこい音楽ブースであるパソコン机の後ろにあるストラトギター、アンプ、カシオのシンセサイザ、この中でいちばん値段するの実はエフェクターで、このセットのなかで一番役に立っていないエフェクターをもっと使いこもうとDC9Vの受け口に家にあった7.5Ⅴのアダプターを差してみるという悪い子をしてみて、ノイズが多くシールドの断線か電圧が足りないか判断できないまま線がもつれにもつれて今日の実験を終えました。

 サラリーマンを嫌になったのは給料の頭打ちで、閉塞感を感じて嫌になったって、まあ給料自体は他業種より良かったはずなんだけど、パソコンばかり詳しくなって女の人とも話し合わないし念願のゲーム業界でもやっぱりプログラマで絵とか音楽の方が楽しそうだったからってのもあるんですけど、絵も音楽も仕事としてお金がもらえるボーダーに立つと、やっぱり閉塞感のある普通の職人仕事ではないかと。

 ここいらは頑張りどころというか、新たな世界を探すのではなく堪えて待ってみるところかなと。やけ食いというほどではないけど、昼飯にハンバーグ弁当を食って、大福を三つ食って、チョコレートツイストをコーヒーで流し込めば、それ以上は食えない。なんか水木しげるさんが昔そんな事言ってたのを思い出します。

 なんでもあって、なんでもできる、ただ、出来るまでを目標としているようなものは世の中に既にある。そういうトコロテンとか金太郎飴のような世界に辟易せずにそれでも芸術活動に勤しめるか。まだ創作家と言えるところまでは来ていないかもしれない。

 エフェクターのつまみを回してギターを弾くだけで「音作り」とかいう世界。同じ機械を持てば誰でも同じ音が出せるのかもしれないけど、同じ型のギターをシンプルにクリーンで弾いても個性が出るように思えるのはまだ俺が壁まで進めていないからか。

 まあせめてパソコンで音を作れないかと言ったことへの償いに、サウンドプログラミングをするのではなく人生の寄り道だったギターをもうちょっとやってみようと。


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