今日のMTG(強いカードを選り分けると見えて来る事)

エクソダスの時代から捨てずに部屋の隅にあったカードの束に「ヴェクの聖騎士」や「憎悪」に「ドルイドの誓い」などの英語版が入っていた。

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ほぼコモンデッキで「天望の騎士」のパンプアップが相手の事故に刺さるくらいしか勝ち筋のなかったデッキが、今は実にレアカード10枚(1枚は神話レア)

このブログでも語っているが、藤田氏はしきりに「レアカードだけが強いわけではない」と言っていた。ゲーセン仲間では年上で色々のことを教えてくれたが冷静になると年下に八つ当たりやいじめのようなこともする人だった。そしてこちらも知識をつけるとおかしなことも言っている。それが昔の年功序列の普通の在り方で、先輩を越すには良いところをちゃんと踏まえて真似て、おかしいところは正さないといけない。

その昔に審判の資格がゆるかった時に審判の仕事をもらうには先輩の審判にタバコワンカートンくらいを差し入れると教わったことがあるが、俺は審判になりたいわけでなくゲームがしたかった。それを思い出すとプレイヤーとしてもトーナメントに出る時に自分はカードたくさん買っていますという事実があってもデッキにレアカードをたくさん入れてエントリーシートに記入することもまた大事な意思表示なのだ。

翻ってレアばかりが強いわけではないという藤田氏の言葉であるが、レアをたくさん入れて記入すると審判に良いお客さんと見做されて弱そうなデッキと当たりやすくなる。これが1000人参加で8回戦しか無いスイスドローの現実なのかもしれない。

バランスの良いゲームを良しとするならMTGが良いゲームというのは幻想かもしれない。ただ、強いカードを選り分けて現実を見て、相手はどんな気持ちかは勝負に持ち込まないで、持てるものは強いという優越感に浸っていればまあMTGは楽しいかも知れないな。

そしてお金やカードを使わずにそれに対抗する手段が野次であって、俺も勝ってから外野がうるさくて長年苛まれて怯んできたけど、今ならそれを跳ね除けるだけの精神力がみなぎっている。


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